今回の言いたいこと、結果から先に述べる
1つは小学校の頃から、周りの人にはずっと名前を「さん付け」で呼ばれてきた
2つめはさん付けとは別に、名前をからかわれてきた
学生時代、自分の名前でいじめ、からかいを受けて自尊心ボロボロ。
力を発揮できず、積極的な生き方ができなかった
ではここから詳しく述べる→
小学校高学年の頃、あるクラスメートが私の名前に、「さん付け」して呼び始めた。
気付いたら、クラスメート全員が、学年全員が私をさん付けで呼んでいた。
同級生が皆んな愛のあるニックネームや、呼び捨てで呼び合う中、私だけずっと◯◯さん。
疎外感は当時から物凄かった。
そして私の名前にさん付けをすると、あるワードが出来上がるため、これはかなり多くの人数から、ひどくからかわれた。
数えたことはないが、100回ではきかないだろう。
ある日の席替えで、好きな女の子が偶然隣の席になった。
少し会話を交わすだけで、最初は本当に嬉しくて毎日学校に行くのが楽しみだったんだけど、それと同時に、ある嫌なクラスメートが僕の前の席に配置になっていた
そいつは、後ろの席の僕の方を向いて、名前を何度も何度もからかってきた。
そして何故か、言ってやったと、毎回ドヤ顔をするんだ。
僕は好きな子が隣にいる状況で、名前をバカにされ続ける毎日に耐えていた。
ほんとうにほんとうに悲しかった、そして辛く苦しかった。
好きな子には僕のからかわれた名前を聞かれたくなかった。
また席替えのタイミングを迎えても、今度はやんちゃな性格の女の子が前の席に来た。
後ろの席を振り向いて、「名前変だよ」と来る日も来る日もバカにされた。
小学校5年生から6年生の頃を思い出しても、名前をバカにされた記憶しかない。
その2人以外にも数えきれないくらいの人に、変な名前だとからかわれた。
中学校に上がっても、小学校から上がったクラスメートは当然全員が、当然「さん付け」で呼んでくる。
別の小学校から上がってきたクラスメートも、すぐにさん付けで私を呼んでくるまでには、そう時間がかからなかった。
中学校時代、毎日のようにバカにされることはなく頻度は減ったが、それでも一定数はからかってきた。
からかわれた日を数字にするなら、肌感覚では3日に1回くらいだったと思う。
周りにもさん付けで呼ぶのはやめてほしい、って何回もお願いしてきた。
わかってくれる人は、最初は違う呼び方で呼んでくれる。
でも集団の空気って不思議なもので、少し時間がながれると、またさん付けに戻る。
この繰り返しで、お願いするのもやめた。
いわゆるグループダイナミクス、集団力動ってやつだ。
普段もずっと、名前はさん付け。
何だか友達との距離も遠く感じるし、一人だけさん付けされる疎外感。
学生時代は何度も何度も「何で名前にさん付けされてるの?変じゃない?」と聞かれた。
そんなの僕が決めたことじゃない、知らねーよ。
そしてさん付けとは別に、約5年間にわたり名前をバカにされ続けた僕の心。
自尊心なんてものはもうボロボロ、ズタズタに切り裂かれていた。
毎回、僕の心が鋭利なナイフで刺される感覚。胸が実際に痛くなる。
あの痛みは、今でも忘れていない。
だから毎日のように家で泣いてたし、この世界から消えたかった。
思春期は精神的に不安定になりやすいのも今だと理解できるが、
そんな敏感な時期に、怖くて震えていた僕の心は、今考えてもよく耐えたと思う。
「みんなの前で、また名前をバカにされるかもしれない恐怖」に震えていて学校に行きたくなかった。
だから高校受験の時期も、勉強どころではなかった。
バカにされる名前に、自分の心が壊れないように守る、エネルギーを使っていた。それで毎日精一杯。
そして机に向かって勉強しようとすると、なぜだろうか?
名前をバカにされた嫌な記憶が、なぜかぐるぐると脳裏を巡り、勉強の邪魔をするんだよね。
それが毎回毎回。
ネットで調べたら、けっこう同じ悩みの子どもたちがいて驚いた。
当時はネットなんかないし、なぜ勉強を始めると嫌な記憶が蘇るのか、そのメカニズムさえ知る由もなかったが。
イジメられていてもちゃんと成績を残す生徒も世の中にはいるわけで、半分は自分の言い訳であることは認める。
でも僕は、全然勉強に集中できなかった。
それは社会人になった今でも同じ。
仕事場でハラスメントを受けていたら、十分なパフォーマンスを発揮できないよね。
毎日嫌な職場にいたら仕事の質は、下がるよね。
学校だって同じことが言えると思う。
イジメられていたら、コケにされていたら、勉強も運動もパフォーマンス下がって当たり前。
こんなんだから高校受験も失敗。
レベルの低い私立に行くことになった。
高学歴な親戚からは非難の嵐。
自己肯定感、自尊心なんてもうどん底。
だから高校受験失敗してからは、祖父母や従妹に会わなくなった。
申し訳ないし、恥ずかしいし。
それまで仲良くしていた関係性も希薄になった。
人生、過去を否定しないで受け入れること、愛すること。
それはわかっちゃいる。
でも、この名前をバカにされ続けた傷は40代になった今も消えない。
過去を肯定する、受け入れることなんてできない。
名前をからかう、バカにするやつらにハッキリ言わなかった、強く抵抗しなかった僕にも非がある。
でもどんな理由であれ、親の願いである名前を馬鹿にするなんてのは、今にしてみれば名誉棄損だし、学生の中で行われたハラスメントである。
だから僕はいい年して言うが、あの時、僕の自尊心をズタズタに、ボロボロにした社会を一生許さない。
もうあの大切な学生時代は帰ってこない。
それがコンプレックス、トラウマになり、だからこそ今を生きる原動力にもなっているのだが。
もしこの経験をメリット、ポジティブに捉えるとしたら
・イジメられる、からかわれる経験から苦しい気持ちが理解できるようになったこと。
デメリット、ネガティブに捉えるなら、
・毎日怯えて生きていたので、大切な学生時代に自分の力を十分に発揮できなかったこと。
・自分は異質な存在なんだという認識が強くなり自尊心が存在しないため、自分をネガティブな存在として捉えていたこと
さん付け、なんて大人になったら当たり前だろ、と画面の前の大多数なあなたは言うだろう。
そんな大したことじゃないと。
さん付けなんて、敬称でむしろ羨ましい、
さん付けのどこが嫌なのか理解できないと。
でもそれは社会的愛着形成が終わった、大人の社会で呼ばれるさん付けとは、全くもって質が違う。
社会的呼称がその人の生き方、姿を決めると言っても過言でないだろう。
この気持ちはマイノリティな当事者じゃないと理解できないから、反論のコメントは不要。
もし同じように、名前や呼称で嫌な気持ちになった、苦しかった時代を生きた人たちがいたら、
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