イギリスのケンブリッジで1948年に生まれオーストラリア育ちで1975年に米国に移住したオリビア・ニュートン=ジョン(Olivia Newton-John)が2022年8/8、米国カリフォルニア州で乳癌により73歳で死亡した。以前、来日でのインタビューで「名前の由来は、物理学者のニュートンと、ミュージシャンのエルトン・ジョン」と答えたと、まことしやかに伝えられたが、父親の名前もブリンリー・ニュートン=ジョン。ちなみに母親の名前はアイリーン・ヘレンで、母方の祖父はアインシュタインとも親しかったドイツ出身のユダヤ系でノーベル賞受賞物理学者のマックス・ボルン(Max Born)。1992年に乳癌と診断され、一旦治療後に寛解したが、2017年に再発した。彼女は乳癌の啓蒙活動を提唱し、メルボルンにオリビア・ニュートン=ジョン癌ウェルネスセンターを設立するために多額の資金を集め、それら活動が認められてオーストラリア勲章、大英帝国勲章を受章し、日本でも旭日小綬章が授与されている。

 

 1971年に『If Not for You(イフ・ノット・フォー・ユー)』でアルバム・デビューしたオリビア・ニュートン=ジョンといえば、もともと1977年リリースの『Making a Good Thing Better(きらめく光のように)』が示すように爽やかでお嬢様っぽいイメージ戦略を立てられていたが、1981年に突如、方向転換し、ロック色を強め、アップテンポなディスコ調のシングル“Physical(フィジカル)”、アルバム『Physical(虹色の扉)』とイメチェンし、MVでも健康的なフィットネス姿でエアロビクスを踊り、この路線でも大成功を収めていた。



 1978年にフォーライフレコードから杏里のデビュー・シングルとして発売された“オリビアを聴きながら”(作詞作曲:尾崎亜美)は、当然オリビア・ニュートン=ジョンに触発され、詞の一節に「Making a Good Thing Better」と引用され、尾崎亜美も杏里も追悼の言葉を述べている。

 

 乳癌治療は外科的手術、放射線治療、ホルモン療法、抗癌剤など化学療法、免疫療法など画期的に進歩し、ステージ0は5年生存率・10年生存率とも100%だが、ステージIVは5年生存率が38.7%、10年生存率19.4%と著しく低下するため、早期発見が重要である。