スペインに留学して約半年が過ぎ、会話が全然上達せず、悶々と暮らしていた。
こんな事でいいのであろうかと自問しながら。。。
一応、ホ-ムステイし、私学の学校にも通っていたが、どうも会話が上達しない。
まあ、環境も上達できるようなものではなかったのは確かではあった。
つまり、ホームステイ先はアメリカ人を中心とした外人が住んでおり、
ネイティブのスペイン語を話すのは、部屋を提供しているケチなおばさんと
ちょっと風変わりな娘であった。 そして、学校のスペイン人先生との会話の
授業のみであった。
スペイン語を学ぶ人間にとって厄介なのは、まず動詞の変化である。
これは人称と時制によって、動詞の語尾が変化していくもので、(その為に
動詞を言えば、主語がわかるので省略される場合が多い)すぐにでてこないし、
言われても誰が(つまり、主語)その行為をするのか、或いは、
した、していた、する予定、してしまった、のか全く持って、頭が○×△なのである。
(英語では、三人称単数のみ"S"をつけるが、こういう語尾の変化が全ての
人称に採用され、その上、時制にも適応されるのであるから、実に学び辛い。)
このようにスペイン語特有の学び辛さと、上達できない環境に悶々と過ごして
いたのである。すなわち、会話の上達には、程遠い環境であった。
ある日の事であるが、知り合いの日本人と遊んでいて、その夜泊めていただく
ことになった。 ホ-ムステイ先には、夕食を食べない時には、事前に
連絡する様に言われていたが、こっちとしては、夕食込みの値段で契約して
支払っているだから、
文句は言われる筋合いはない!という気でいたのであるが、翌朝帰ると
ホ-ムステイ先の単純なおばさんが、実に不機嫌で、部屋にノックもしないで
入ってきて、日本から到着していた友人からの手紙を投げ捨てて
出て行ったのである。
外国に住んでいる人間にとっては母国からの手紙というものは、この上なく
嬉しく、貴重なものである。
それを投げ捨てられようとは。。。 このおばさんは、祖国を後にし、海外に
住んでいる人間の事を全然理解していないのであり、とどのつまりは金儲けの
一つとしてしか考えていないのではないか。と、自分なりに解釈し、 この態度に
ムカッとしたので、その日の内に出る事にした。
なんとか、安いペンションを探しだし、暫くは、そこに滞在したのであったが、
いくら頭に来たとはいえ、あのおばさんは一応、ネイティブであったために、
会話の上達には、幾分、役にはたった。
しかし、ペンションでは、その機会すらないのである。
学校は続けていたものの、クラスメ-トにはメイティブは先生以外にいないし、
会話の上達といった点では、更に悪い環境になってしまった。
その安ペンションに、悶々と過ごしながら、ある日本人が今住んでいる学生寮を
でるので、そこに入るように勧めてくれた。 「やった!これで、廻りがスペイン人に
囲まれる環境になる。」 と、思った。 学生寮は、外人も住めるのであるが、
結構、待たされるケ-スがある。しかし、彼が私を推薦してくれて、直ぐに
入れたのであった。
引越しも済んで、意気込んで入寮したのだけど、若いスペイン人に取り囲まれると、
やっぱり尻込みしてしまう。 悲しいかな、彼等は、常に、スラングを使い、
習った事のない言葉で話すものだから、ヒアリングがまだ十分でない上に、
スラングだらけで話されると頭が〇×△状態なのだ。
特につらかったのは、食事時である。
ここでは、4人分として食事が提供される。 つまり、4人掛けの席に、
4人集まって、食事を取るシステムである。
従って、イヤでも、私の席は、3人のスペイン人で取り囲まれるのであった。
とにかく、言われている事が分からない事が多く、笑ってごまかすしか手は
なかったのである。
とりわけ、急に何か言われると、理解できない事が多かった。
従って、考えた事は、まず、自分から話しかける。という事であった。
そうすると話題が分かっているから、ある程度、理解し易い。
そして、なるべく寮のイベントにも積極的に参加し、彼等と一緒にいる時間を持とうと、
努力した。 理解できない事がたとえ多くあってもである。
この様に、彼等と多く、コミュニケ-ションをとるようにして、会話上達のきっかけを
作ったのであるが、ある一つの事件?も、大きなきっかけになったのである。
それは、寮に入ってまだ間がない頃の事であり、まだ、会話は不十分にこなせない
頃であった。 ホ-ムステイ先から出る事件のきっかけとなった知り合いの
日本人の住んでいる寮(私が住んでいた所から近い)に行った時の事である。
実は、「日本に帰国するので不要なものをあげる。」という事になったので、
取りに行き、彼の部屋で泊めてもらう事にしたのだが、寮の規則で外来者の
宿泊は禁止されているので、深夜、帰るはめになってしまった。
そして、もらい物を抱え、雨も降っていないのに、雨傘も持って、一人で深夜、
歩いていたのである。
と、その時、一台の車が通り越したと思ったら、その先で停車したのである。
その瞬間、「あっ、まずい!」と思った。
不安が的中。車からは、3人の警官が自動小銃を抱えて出てきた。
「Identifiquese!」 つまり、身分証明書を見せろ!という事である。
ここでは、国民すべて、身分証明書をもっており、警察から要求されると
それを提示しなければならない。
外国人には、パスポ-トを持つことを一応、義務付けられている。
もし、何かの過ちで、引き金が引かれてしまったら。。。
まずい事にその日、パスポ-トを持っていなかった。
また、学校はまだ休み中で、コ-スが始まっておらず、学生証もない。
更に、不安にさせたのは、友人からの以下の話だった。
「バルセロナで日本人がパスポ-トを持っていなかったために、1週間ブタ箱に
入れられ、スペインに愛想をつかし、帰国した。」
この話の真意は、良く知らない。 しかし、会話がままならない頃で、悶々と
過ごしていた時であり、携帯が義務付けられているパスポ-トを所持しておらず、
学生証もなく、身分証明が出来ない。
もし、何かの過ちで、引き金が引かれてしまったら。。。否、ブタ箱に入れられる
かも知れない。。。
なんとか、この危機を脱出しないと。。。
会話がまだうまくできないけど、わかってもらえるのだろうか。。。
結末は、討たれる事もなく、ブタ箱にも入れられる事もなく、開放されたのであった。
自分がどのように話したのかは、具体的に良く覚えてはいない。
しかし、言った内容は以下の事だと覚えている。
①日本からの留学生であり、近くの学生寮にすんでいる。
②友人が日本へ帰るので、遊びに行き、不用品をもらった。
すぐ帰るつもりだったので、パスポ-トは携帯していない。
③学校もまだ始まっていないので学生証ももっていない。
これが、何処まで通じたのかは、良くわからない。 とにかく今では笑い話で
済ますことができるが、その瞬間は必死なのであった。
引き金が誤っても引かれたりしたら。。。 ブタ箱に入れられたりしたら。。。
とにかくこの危機から脱出する事で必死だったのである。
荷物をいっぱい抱え、雨も降っていないのに傘をもっている変な格好で夜中
一人で歩いている変な黄色い人間がいれば、警察も尋問するのは当たり前の
事であるが、銃を向けられるなんて平和な日本に住んでいれば、まず無い事で、
この事は恐怖だったのである。 しかし、その危機から脱出できた。
そうなのだ。 つまり、自分のスペイン語が通じたと言う事なのである。
警察を理解させる事ができたのである。 会話が中々上達せず、
苦悶していた時期に、恐怖を与えてくれた警察のおかげで、必死になって
話せば、十分に自分のスペイン語は通じるという事を教えてくれたのであった。
この一件が、その後の自分に大きなきっかけを与えてくれた。
それからの寮生活は、確かに当初、戸惑った事は確かであったが、会話が
上達するにつれて、本当に楽しく過ごす事ができた。
言葉が出来ないというハンデと、寮生の中には、嫌なヤツもいて、
「そいつと話しても、何ら言われている事を理解していないから話しても無駄だ。」
というような悪口をいう者もいて、最初の頃は苦悶していたのであった。
しかし、そんな事を言う者は、ほとんど皆無だったし、祭りがある時には
自分の家へ招待してくれたりして、親切にしてくれ、至福の時期を過ごした
のであった。
外国語会話の上達には、日本語を話す機会をできるだけ少なくし、
廻りに外国人に囲まれる事。
そして、失敗を恐れず、とにかく、間違っても良いから、口に出してみる事である。
たとえ、間違ってはいても、間違いを指摘し、正しい言い方を教えてもらえるの
だから。
そして、何か言われた事を理解しながらも、それに対して返事が出来ない、
文句が言えない、反論できないとなると、自分に腹が立ち、「よし!今度同じ事を
言われたらこの様に言い返してやろう!」と、決意するものなのである。
辞書を引きながら必死でそのフレ-ズを覚えていく。 そして、実際に口に出して
言ってみると、確実にその単語やフレ-ズが頭に入るのである。
会話の上達は、これらのことの繰り返しであると思う。
世の中には、いろんな外国語会話上達のグッズがあふれているが、やっぱり、
「実践あるのみ」で、日本語を話さない環境に入り込むのが一番の早道だと
思う。