毎年、九月の中秋の名月に行われる采女祭り。 毎年、見学したくて仕方なかったのであるが、仕事の都合で叶わず。 今回やっと都合がついたので見学することにした。
三条通りを東に進むと、猿沢池があり、ここで雅楽を奏でながら、天平時代の衣装をつけた巫女役の女性を乗せた船が池を二周し、最後に池の中央で花扇を沈めることで行事が終わる。
祭りの由来は、当時の帝に仕えていた采女が帝の寵愛を受けなくなったことを悲しんで、この猿沢池に身を投げたという。 それを聞いた帝が池のほとりに小さい社を建てたのだが、采女が池を見るのを悲しんだので一夜の内に向きを変えたという。 実際、社は池を背にして建っている。
時代は、単に帝と言っているだけで、正確な時代は分からないが、奈良時代なのであろうか。 しかし、調べた所、平城天皇の時代という説がある。
もし、平城天皇なら、平安時代の初期の頃だし、桓武天皇の子供である。 しかし、この天皇は、上皇になってから奈良に移り住み、奈良に都を戻そうとして謀反 (いわゆる、藤原の薬子の乱)をおこした輩である。
そうなると、ちょっと、言伝えとはちがってくるのであるが。。。平城天皇なら時代が違うし、奈良が舞台となれば上皇になって奈良に戻ったのだし、帝の称号はもっていない。
それとも、御所が京都にあって、天皇の頃に奈良に別荘をもっていて、そこが舞台となったのかも知れないが。
また、采女とは天皇の身の回りを世話をする女性であり、まぁ、夜のお相手役でもあるわけで、天皇側から言わせれば、相手をする女性は「寵愛を受ける」となるのであるが、今の時代なら大きなスキャンダルである。 天皇の権威を高める為に、言葉も変わってくるのである。 外出を「行幸」といったり。。。この権威を高めるための知的な戦略、知恵は、後の秀吉や家康にも受け継がれたであろう。 どこにでも知恵者はいる。


