私の世界にいる貴方には幸せになってもらわないと私が困る
ここにたどり着いた人になら、自信を持って言える。あなたは、大丈夫。学生時代の最後に書いた作文を発掘しました。恥ずかしい、けど我ながら素晴らしい。(とても提出前日に焦って一時間で書いたとは思えない)卒業式の日、ずっと作文指導をしてくれた先生方に、集大成として寄せ書きならぬ寄せ作文をお渡ししました。テーマは「未来」。…恥ずかしいくらいの若さ。笑「未来」思い悩むと、手帳を開く癖がついた。遊びや課題の予定を書き込んだページを眺めていれば、今するべき事が見えてくる気がするからだ。空いたページに雑然と吐き出した文章は、読み返す度にその日の自分の震えるような声で再生される。そして続く空白を最新の吐露で埋めつくす。その繰り返しだ。こうして手帳が、軌跡をつづったログブックとなる。しかし航海日誌が果たすべき、出発から帰港までの距離や時間の算出はできない。今までどの位進んだだろう。そもそも進む方角は正しいのか。塩水でパリパリと劣化した紙には記憶までもが染み込んで、文字は滲み、変色している。手帳を閉じる。火照った顔を手で冷やし、途方に暮れながら、表紙に挟んだ写真を見つめる。そこに写る彼もまた、見つめる私と同じように、顔を手で覆い、考え込んでいるようだ。普段ならば、スポットライトに照らされ輝くその顔は、そこではメイクが崩れ、モノクロの中で固く目を閉じている。泣いているのだろうか。祈っているのだろうか。完璧なはずのその人が見せた姿は、美しい白鳥が水面下、必死に足をもがいて泳ぐという話を思い出させる。一瞬見えた等身大の彼に、私は奮い立つ。生きなければ。懸命に、今を、生きなければ。未来はまだない。過去はもうない。ただ、私には今があり、その蓄積の末に、今の私が「未来」と呼ぶ日は待っている。「絶対、大丈夫」。私の未来に向かって、大人たちは言う。未来のことなど誰にも分からない。突然の台風は、ログブックにも導けない。けれど、私が「絶対」だと信じている大人に限って、そんなことを言う。本当だろうか。写真の彼の真似をして目を閉じる。「君なら出来る」。誰かが言う。それなら、なりたい私の姿が見えている内は、それを「未来」と呼ぶことにする。このときは、引き寄せなんてまったく知らなかったけれど、このときから、大切な人は私に絶対、大丈夫の言葉をくれていた。その言葉を信じたから、いろいろあったけど、私は今ここで絶対、大丈夫な世界にいる。だから私も強い言葉で言おう。絶対、大丈夫。あなたは、絶対。今そこで、画面を見つめている大好きなあなたにだけ届けばいい。