こんにちわ~。
昨日の日曜日、
母の骨を霊園に納めに行ってきました。
母が亡くなってから1年半以上・・・
49日はとうに過ぎて・・・
随分と時間が経ってしまいました。
この日まで母は、私の部屋でいつも私の傍におりました。
樹木葬にするか、散骨にするかずーっと考えておりましたが、
結論としては、どちらでもなく合祀とすることにしました。
母には、入るお墓はありません。
母は、お花が好きだったので樹木葬と考えておりましたが、
私や家族が、そこに足を運ぶことは無いだろうとは思っておりました。
“千の風になって”の歌の歌詞ではありませんが、
樹木葬の墓石の下に母の骨があっても、
母は、そこにはいないと私も思います。
ただ、骨があるだけ・・・・・。
私は、人は死んだら、“無”になると思っています。
悲しい言い方ですが「何もかもなくなってしまう。」
だったら、骨なんていらない。何も残さないほうが良い。
肉体は煙となって空へ、骨は土に返って新しい命の源となり、
次のステージに進んで欲しいと思います。
母は、何かしらのお仕事を授かりこの世に生まれ、
その役割を達成し、この世を去りました。
生きることのなかに、その役割があり、
母は、最期まで一生懸命に生きて人生を終えました。
変な話、
合祀は、金額的に安いです。
樹木葬にしても、何年後には合祀になるとしたら、
最初から合祀でも良いではないか、その分早く土に帰ることができます。
それに、合祀にしないとなると、この先永遠に骨の入った骨壺だけが、
樹木葬の墓石の下に残る・・・・・・
これは、“死んだら土にかえる”という私の考え方からして、
気持ちが悪いです。
お金も気持ちも、死んだ人より生きている人の為に・・・・
この思いは、私自身の命が無くなっても同じです。
もしも、母と私が“ソウルメイト”だったら、
いつか同じ時代に、関係性は違っていても会える時があるでしょう。
その時、かつて私の母であった『誰か』は、
今度は平穏な幸せな時を歩んでいてほしいと、
今の私は思ってます。
納骨を済ませ、自分の部屋に帰ります。
母の遺骨が置いてあった場所は、
空間となり寂しくなってしまいました。
しばらくは、
若かりし頃の母の写真と、
私と母が一緒に写った、
お互いに若いころの写真を飾っておこうと思います。
これで、本当に母とお別れです。
日曜日は、
風があったせいか暑さも和らいだ感じで気持ちの良い晴れた日でした。
・・・・ちょっとセンチメンタルかな。。