生あるものは必ず死ぬ、
余命宣告を受けた時から、母をどのようにおくってあげればよいか考える。
7月30日(金)
午後1時半に母の病室へ。 体温チェックと消毒は欠かせない。
この日も、長い面会は許されないだろうと思っていたが、
「ずーっと居ても良いですよ、お帰りになる時は声をかけてくださいね」と言われた。
仕事中にぬけて来ていたが、
午後から休みにしてくれるように会社へ連絡した。
母は入院した1か月半前の時よりも更に痩せて、
点滴されている腕は、骨と皮しかなように見えた。
上手く呼吸もできないのだろうか・・・酸素マスクを取り付けられていた。
おかあさん?!と、声をかける。
私のことわかる?と、問いかけると母は小さく何度かうなづいてくれた。
何やらしゃべるけど、入れ歯を外しているのと酸素マスクで、なかなか聞き取れない。
それでも、会話になる事もある。
「お水ほしいぃ」・・・・とろみのあるお水をそーっとあげる。
母は、それを口の中でモグモグしてから、唾液を出す為にティッシュを欲しがる。
・・・・・・・・・・・・・・・・少しは、飲んだのだろうか。。。。
「白いご飯が食べたいなぁ」
「そうだね、白いご飯食べたいね」
「やっぱり、白いご飯だよねぇ」
「何をのせて食べる?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「わたしは、お海苔かな、おかあさんは?」
「今から食べにいこうぅ・・・この時間なら、まだ空いてるよぉ、行こう、早く行こう」
母は、サイドの柵に手をかけて起き上がろうとする。
「ごめんね、おかあさん、今日はお休みの日だよ」
「やすみなのぉ」と、残念がり手の力を緩めたのがわかる。
母は、お腹が減っているのだろうか・・・なのに食べられないのだろうか、
もう、身体がうけつけないのだろう。。
何かを言おうとする母の言葉を聞き取ってあげられたない時間が過ぎる。
ごめんね、一所懸命聞こうとしてるのだけど・・・
突然、母は、握られた手に力を込めて。
「わたしね・・・わたしね、もうだめだよ・・・・ありがとう、ありがとう」
と絞り出すような声・・・だけどハッキリ聞こえた。
私は、
もうそんな事言わないでよ、ほんとうに思ってるの?と心の中で思いながら、
泣かないでいようと思いながら、やっぱり涙は止まらない。。
私は、根っからの泣き虫に育ってしまったのだから。
「大丈夫だからね、私はちゃんと出来るからね、何も心配いらないからね」
私も少し手に力を込めた。
母のその手は細く冷たく指先は紫色で爪は白くなってしまっていた。
午後5時半ごろ、
「明日また来るね」と言って、病室をでた。
こんなに長く母の傍に居たのは何年ぶりだろう。
看護師さんも母がもう長くないという事を承知してくれているのだろう。
明日、来ることも承諾してくれた。