ROBERT de BORON official blog -10ページ目

ROBERT de BORON official blog

ロバートデボロンのぶろぐ



東日本大震災
多くの人が悲しみに包まれた
あの地震から三年

死者 15,884人
行方不明者 2,640人
負傷者 6,150人

とんでもないことが起きた事を
この数字からも改めて察することが出来る

実は封印していた話がある、
僕は当時東京で
福島県富岡町出身の彼女と
暮らしていた

数年前に既に別れてしまったが
とても出来た彼女だった
コンビニでおにぎりを買い
外で食べるという時でも
必ず手を合わせ、『いただきます』
をするような人
一見当たり前の事のように思えるが、人はなかなかこれが出来ない。心がとても敏感でテレビや映画でも、すぐに涙を流すような彼女だった


2011年 3月10日
彼女の携帯が鳴る、実家に住む母親からの連絡で、おじいちゃんが危篤との事。生活を長年共にした肉親の死に際『会いに行き見とってあげな』と伝えた。しかし夜に連絡が来た事もあり電車もなく、高速バスを待っている時間もない。急遽送る事になった。

着いたのは

2011年3月11日地震があった日の
午前4時か5時だったと思う。家は第二原発のすぐ近くで小高い丘を登って行くとある。原発周りを車で走ったことのある人はわかるだろうが、セキュリティ面がしっかりしているのもあり閉鎖的で隔離された巨大施設といった感じ。暗闇で見ると不気味さを感じたのを覚えている、原発周りの町に住むほとんどの人が原発関係で職を得ているという。もちろん彼女の父親も母親も原発関係で働いていた。

無事実家まで送り届けボロン号は高速を乗り東京に引き返す。東京の家に戻ったのが9時?10時位だったかな??

着いた頃に電話がなり

『おじいちゃんが亡くなった、息を引き取るところを看取ることが出来てよかった、送ってくれたことに感謝しています』との一報をうける

病院から亡骸を家に移し、これからいろんな親戚が集まる。
睡眠不足だけれど準備をしなくてはならない。まだまだこれからが大変『頑張って!気を張って!』と伝えた。

シャワーを浴び体力の、限界にきていたためすぐに眠りについた、、

数時間後、、。
あの忌々しい東日本大震災が直撃する。よく出来た数字だ

2011年3月11日15時15分34.4秒、M7.6、最大震度6強

東京も大きく揺れた、すぐに飛び起き崩れてくるレコード棚を必死に抑えた記憶がある

テレビをつけ何が起きたかを知る
その後津波に飲み込まれて行く映像を見たのはみんなも一緒だと思う

回線のパンクで電話は不通、
福島にいる彼女に
何度電話をしたかわからない、
繋がらない

頭によぎる最悪のケース
ひたすら電話をした、ようやく呼び出し音が鳴る、出てくれと願った、とてつもないスピードで心臓は動いていたと思う。

彼女は無事だった。

車が跳ねてた、震えが今も止まらない、と電話越しに涙声で話していた

おじいちゃんの死により、親戚一同、皆丘の上にある実家にお線香をあげに来ていたため、誰一人被害に会うことなく済んだのだ。

沢山の人が亡くなった、一つの家族が助かったからとよかったなんて今まで言えなかった、でも生きているそれだけで涙が出た。
守ってくれたおじいちゃんが居たと感じる。その後連絡は途絶え、東京のテレビでは余震、津波、原発、放射能、避難エリアが拡大しているとか、まだまだ寒い東北にえげつない事が起きる、もちろんライフラインは全てアウト。隣の家やら、街ゆく人やら乗れる人は何ににでも乗って避難所に移動したと言う。

彼女の家では、
おじいちゃんを置いては行けないおばぁちゃん、防護服を着た自衛隊と共に後日焼き場まで、など想像するだけでとてつもないドラマがあったと思う。

翌々日かな?連絡が途絶えたままの彼女は福島にまだいる。携帯の充電が切れたのか?はたまた何かあったのか?居ても立っても居られない俺は一人福島に向かった、高速は通行止め、国道6号をひたすら下道で走った。東京でも食料や水、ガソリンも無くパニック状態だった事を覚えている。街はもちろん停電、信号や街頭すらついていない、、一人の恐怖を感じた。向かう途中、沢山の悲しみに出会った。北茨城あたりで道は海沿いに出る、街は壊滅、船がとんでもないところにあったり、バスが川に刺さっていたりと、たった東京から200キロ程離れた所でとんでもない世界がそこにはあった。
大きな木が車線を少し邪魔していた、それを引っ張るおじいちゃんとおばぁちゃん、見るに耐えれなくなり降りていき手伝う、挟まっていてピクリともしない。これは無理だ、寒いし風邪をひいてしまう車は通れるし避難所まで行こうと言うと、
これはウチの大黒柱、この道の先にはもっと大変な人たちがいる、沢山の人がこの道を通るんだ。ウチの柱が邪魔をしたらダメだ、って頑張っている、泣いた、沢山の人が車を降りて手伝ってくれた。みんな泣いていた。

助け合い、感動、悲しみ、絶望まで、色んなものが何千と何万とあの出来事の上にはあったんだと思う。
道中連絡が繋がり彼女とは無事出会えた。

死者 15,884人
行方不明者 2,640人
負傷者 6,150人

と、簡単に言うけれど、1人の死や行方不明者、負傷者に幾つもの涙、悲しみがある
それを理解し感じないといけないと思う。

それと

僕には私には何も出来ないから、
ではなく
僕には私には何か出来ないかな?
と思考するべき

今生きる人、いつ何が起きるかなんてわからないんだよ、素直に会いたい人には会おう、家族?恋人?友人?本能を信じていいんだ頭で考えるべきではないことがある。

近年携帯は進化し、コミュニケーションの主流だった言葉は文字に置き換えられた、文字でしか伝えられない事があるのは確かだ。しかし文字では伝わらない事の方が山ほどある。
本を読んでいてよく思うんだ、この著者は何を想い執筆したんだろう?って、それを想像する楽しみはある、しかし行間に詰まった想いを全て拾う事は出来ない。

話はだいぶそれたが、

福島、人と人とを感じた
東日本大震災、被災された人も含め全ての関係者の方々が愛に溢れ幸せになる事を祈っています。


Robert de Boron