2015年6月28日付けの朝日新聞で「石綿 続く飛散リスク」のタイトルで、「クボタ・ショック」10年、建物解体2030年ピークの記事が掲載された。

 

  

 

 阪神大震災や東北大震災の建物倒壊では、大量のアスベストが拡散された。アスベストを含む建物の解体には、飛散防止対策を採るよう法的な規制があるが、費用が嵩むため杜撰な解体や報告なしの解体が横行しているらしい。飛散防止策には、届出義務、表示、飛散防止策、作業方法等の厳重な規制がある。記事では、一切の手続き・作業が飛ばされた違法解体と、石綿の飛散そして事実隠蔽の事例を挙げていた。

 

  

 

 朝日記事によれば、生活環境における石綿の濃度は1リットルあたり繊維1本以下という記述があり、近鉄が依拠していた敷地境界基準1リットルあたり10本を否定していた。しかも当商店街のアスベストは、最も毒性の高いクロシドライト(青石綿)だ。

 2006年、石綿は製造・使用が全面的に禁止された。だが「石綿禍は過去の問題ではない」と記事は訴えている。

 

  

 

改定「謝罪文」(2015.7.7) が改めて提示された。

拝啓

 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。平素は当社事業に格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。

 さて、八戸ノ里東商店街に残存するアスベストに関しまして、昨年の文具店における裁判の判決により、昭和63年以降、アスベストの曝露による健康被害の危険性及びアスベスト除去対策の必要性が広く世間一般に認識されるようになったという判断が出されましたが、当社といたしましては、アスベスト対策工事の着手が平成17年11月になったことに対しお詫び申し上げます。

 さらに、前述のアスベスト対策工事を実施したにもかかわらず、アスベスト除去工事済みの区画からアスベストが検出されたこと、アスベスト囲い込み工事済みの区画において囲い込み状態が完全ではなかったことなど、工事の不備が発生したことに対し、重ねてお詫び申し上げます。

 つきましては、当社はこれらの事実に対し、アスベストの危険性に対する認識をさらに深め、八戸ノ里東商店街に残存するアスベストの除去を早急に実施いたしたく存じます。また今後、八戸ノ里東商店街に残存していたアスベストに起因する疾病に罹患された方があった場合には、当社は誠意を持って対応いたします。

 テナントの皆様方には大変ご迷惑をおかけしますが、何卒、ご協力賜りますようよろしくお願い申し上げます。なお、工事完了後も新規テナント誘致に努めますのでよろしくお願い申し上げます。                敬具

 

 あまり変わり映えはしないが、これをもって諒とした。

代理人同士の尽力で、合意事項確認書と覚書(案)が作られた。覚書失効の場合の事例についても触れられていた。

 

第四回話し合い(2015.7.9)

 謝罪文の受取りは、覚書交換時という理解でいいだろうか?内装工事費および代替店舗に成算あって今日の会議を設定した筈。内装工事費の件で、近鉄と商店会では未だに認識の差がある。スケルトン状態にすることの認識に食い違いがある。お互いの見積もりで差が大きいのは、認識の違いから来るものだ。認識の差を埋め、お互いの見積もりを突き合わせるということで良いか?

 代替店舗の件はどこまで進んでいるのか?代替店舗の進捗状況を聞いて、代替店舗を希望するテナントはより不安になったのではないか?説得力のある話をしてもらわなければ不安が募るだけだ。話し合いを壊そうとしているのはどっちだ?覚書失効の事例を挙げているが、商店会に踏み絵を迫る内容。覚書失効に至る場合は同じく近鉄にも責任があると言いたい。

 近鉄も考えは一緒だと引き取り、謝罪文および工事内容等について確認を終えた。計4回の全体交渉はこの日をもって終了し、後は弁護士が入っての個別協議に移行した。

 

 商店会9店舗は近鉄不動産と合意文書を取り交わし、工事日までに明け渡しを実行することになった。

 

*2015.9.27 メモ

明日は近鉄不動産に鍵を渡す日。漏れ落ちがないか、確認。

 

*2015.9.28 メモ

近鉄不動産に鍵を渡し撤退終了。

 

おわりに

 9月28日に近鉄不動産にシャッターの鍵を渡し撤退完了。近鉄八戸ノ里駅ショッピングセンター東名店街は消滅した。高架下の商店街には、私たち9店舗のうちひとつも残らなかった。

 最後の商店会会長として最善を尽くしたという自負はある。商店会の願いをまとめ、近鉄に突きつけ、着地点を探りあてたという安堵感である。文具裁判結審と近鉄工事の杜撰さが露見したことが近鉄のお手上げした大きな理由になるが一人でも闘うと決意を固めた2013年度の調停がその後を決したと思う。

 だが解決できず積み残しになったことがある。近隣住民への説明会は開かれず、かつて当商店街に籍を置いた店舗と従業員への手当ては行われず、そして西商店街でのアスベスト問題の解決は未だである。それらは弱小商店会の手には余る。そうした課題は、A・B弁護士らが所属するアスベスト訴訟弁護団に任せるしかないのだろう。また店を贔屓に足繁く通ってくださったお客にアスベストの件を知らせず、黙ったまま出てきてしまったことは誠に申し訳なかったと思っています。

 私には、王様の耳は驢馬の耳だと、近鉄ビルサービスはこんな会社だと叫び出したい欲求が内在した。だがかく言う私も実は驢馬に過ぎなかった。賃貸借契約書に署名押印する前には、契約書の内容をよく精査すべきだった。「契約自由の原則」は、悪魔に魂を売り渡す危険性を孕んでおり、悪意ある意図で描かれた賃貸借契約書は現に存在した。2005年のアスベスト対策工事の際には、アスベストへの知識と理解を深めて近ビルに物言える存在であるべきだった。商店会も近鉄も国も、誰もが全てが手遅れだった。

 アスベスト被害は風評被害を包摂する。風評被害を恐れる隠蔽体質が事態を拡大悪化させた。近鉄が2003年までアスベストの存在を知らなかったと主張する中にも、隠蔽体質が隠されていた。アスベストの毒性が広く知られるようになっても、営業中の店舗から全てのアスベストを除去するのは負担が大きかったのだろう。水漏れ・地盤沈下の改修についても同様だ。近鉄は、アスベスト・水漏れ・地盤沈下の三重苦欠陥商店街を隠し続け、営業活動を行い、被害を拡大拡散させた。

 S陳述書では、アスベストの存在をずっと知らなかったとくどくどと語っているが言い訳に過ぎない。アスベストの危険性が指摘されてから、たくさんの通知通告、法規制が提出されて、そのどれにも気づかなかったと強弁するには無理があった。その結果が文具裁判での断罪であった。

 この話の終わりが、近鉄を非難するだけで終わってはならない。商店会の窮状を救ってくれたのは他ならぬ近鉄だから感謝はしている。日本の高度成長期を陰で支えたアスベストの毒性に、気付き対策を取るのを政府が遅れ近鉄は更に遅れた。近鉄提出の謝罪文には、そんな恨みも詰まっていたように思う。文具アスベスト裁判差し戻し控訴審判決が言い渡されたのは2014年2月27日。この8日後にあべのハルカスがオープンしている。「世間体をはばかったのか、近鉄は上告せず。」の記述が、K氏からいただいた資料に見える。きっと近鉄側には、国の施策の転変と裁判に対する不満もあったに違いない。

 当商店街が消滅したあと、アスベスト除去工事が行われ、耐震化工事が行われ、水漏れ・地盤沈下対策工事が行われて、また新しい商店街が形造られるかに見えた。

 翌2016年4月3日。「近鉄高架下の石綿吹き付け、同一駅で2人目の中皮腫被害発覚」報道。八戸ノ里西商店街店舗でアスベストを吸い込んだ元喫茶店長が中皮腫を発症して死亡のニュースが流れた。また東商店街の外れでガス漏れ騒ぎがあったことも知った。

 

  

 

 事件は風化していない。そして高架下商店街は今も封鎖されたままでじっと沈黙を守っている。一方高架南側の一画で文化住宅の取り壊しが始まった。駅北の市民会館建設とともに、八戸ノ里周辺が大きく変わる前触れなのかもしれない。そのとき当商店街の跡地はどのように変容しているのだろう。

 今やシャッター商店街の悲哀は、日本全国至る所で見慣れた風景なのかもしれない。だが大家と店子が、ウインウインの関係でなければ商店街再生も地域再生もあり得ないことを付記して、「驢馬の嘶き」を締めくくりたいと思う。

 

追記

 2020年10月16日の毎日新聞に、「高架下店舗 中皮腫死 大阪の近鉄 同地区で3人目」の記事が載った。

 八戸ノ里地域では3人目、東商店街では2人目の犠牲者が出た。亡くなったのは、うどん屋の先代おかみ83歳。商店街が閉鎖される数年前には家業を息子夫婦に譲って店に顔を出すことは無かったが、突然の訃報および石綿由来の中皮腫ということでビックリした。

 うどん店は私が経営していた立飲み店の真向かいにあり、親しくさせていただいたので大変残念な結果である。謹んで哀悼の意を表します。

 改めて石綿の恐ろしさを実感することになった。うどん店は1970年の八戸ノ里東商店街の開設とともに歩んできた。石綿は50年ほどの歳月を経て今に祟る。石綿禍の商店街に身を置いた者として、これからも警鐘を鳴らしていきたい。

 

   

 

 「驢馬の嘶き」近鉄八戸ノ里駅ショッピングセンター東名店街・限界商店街2年9ヶ月抵抗の記録、は以上で終了です。

 この記録が当商店街に関係のあった方々および地域の方々の御目に届けば幸いです。その節は大変お世話になりありがとうございました。皆様方のご健康を祈念して筆を置きます。