お久しぶりです!
雑草です。
最近は孤独感がなく、読書に集中できているので、アメブロを書く気が逆に減っていました(笑)
しかし、最近また気づきがあったのでそれについて書いていきたいと思います。
私の中で一つ重要な目標があります。それは「無為自然に生きる」です。
無為自然という言葉は西田幾多郎さんの「善の研究」で知りました。
他にも多くの人が本でこれについて触れていると感じます。(言い方を変えてですが)
ブルース・リーさんは「水になれ」といいますし、他にも「自ずから生きる」と言ったり、ピンポンというアニメでもそういう描写があり、無意識と呼ばれたりもしている気がします。
私が最近気づいた気づきですがそれは、無為自然は対人関係によって作られるという仮説です。
理由は、我々人間は集団で生き抜いてきた生き物で、集団を維持するために作られているからです。
無為自然と聞くと、道端に生えている草木や石ころを私は連想します。
人間の場合は道端の草木の様に生きるのではなく、集団を形成することが、自然が作ったルールなのです。
山籠もりしたり、瞑想をしたりしても、おそらく無為自然にはなれないのです。
無為自然になるためには人間関係の中で他者に貢献をする貢献感が重要になってくると思います。
謙虚な気持ちで他者を尊敬し信頼をすることで、貢献感が持てるようです。
無為自然(無意識)を目にすると人はそこに美を見出します。
意識のある行為に美はありません。結果が原因の原因なのです。
無為自然に生きる人はよく笑います。人間は無為自然になると自然と笑うのです。
子供のころと比べて大人になるとあまり笑わなくなるのは、無意識が減ってどんどん意識で生きるようになるからだと思います。
無為自然で笑うためには上手下手などの判断をしないことが重要になってきます。
無為自然には判断がありません。あるがままには勝敗や敵もなく、ただあるだけなのです。
無為自然に生きたいと私はずっと思っていました。
無為自然は人間関係の中にある、と気づけたのは大きな一歩だと思うのです。
孤立をしてしまうと無為自然にはなれません。人間は他者を必要とする自分の弱さを自覚する必要があります。
孤独な人は一人の時間で内省できるので気づきやすいのかもしれないです。
幸福に生きるためには人間について考える必要があると思います。
無為自然は私が個人的に目指している目標です。言葉で共有が本来できないことは理解できているつもりです。
ということは、私は無為自然という言葉で何を目指していることになるのでしょう。
心の中にあるものを文章化できないのです。この世界のシステムの面白いところだと思います。
私のような孤独な人がこの文章を読んで共感をしていただけたら嬉しいです。
孤独な人の少しでもお役に立てると幸いです。