RoadJapan 日本の道路、昭和の旧道を巡る旅 -5ページ目

第4回 国道45号陸前高田市 やませの中から、祭囃子が聞こえる

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
はっきりと、ビルの名前が書いてあったのに、今回の訪問まで気付けないとは
人は、見ようとしないと、なかなか気付けないものです。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
ひとときの訪問者は、こうして草花を添えて
希望を表現したりしますが、それは絵空事ですよね。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
また、同じお店として、もしくは伝える役目を果たす拠点として
再開できることを願ってます。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
町の殆どが壊滅したように錯覚してしまいますが
9割の人が生存し、生活を続けているのです。

震災前と変わらぬ高台の住宅街で、
もしくは仮設住宅で。

車の流れは途切れることはありません。バスも通ります。
旧道は生活道路として今も現役です。

しかし高台へと向かう道路は貧弱で
復興計画に基づく道路ができるまで、今の道路は修復されぬままで
住む人の悩みとなっています。

・・・

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
2時間以上、車の窓を開けて、
霧が深くなったり浅くなったりを繰り返す、
涼しい気候に、身を任せていました。

すると…、

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
祭囃しが、聞こえてきました。


常に毎年8月7日に開かれる、
うごく七夕祭り、けんか七夕祭りをぜひ見てみたい。

そのために私は、平日に休みを取って陸前高田市にやってきたのです。

第3回 国道45号陸前高田市 自分を惹きつけたビルとの再会

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
自分は、2012年1月に訪れた時と、同じ位置に立ちました。
復旧工事が始まり、大型車が行き交った影響で路面が削れていますが
ああ、そのままなのか、そう感じました。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
ますます深さを増した、やませの向こうに、
霞んで見える建物が1つ。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
国道45号旧道沿いに残る、この建物に、
2013年7月、5回目の訪問で、初めて近づいて、ゆっくりと見ることが出来ました。

今まで、通り過ぎるだけであった理由は、
この建物に住んでいた人が、果たして無事だったのか、
分からなかったからです。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
この3階建てビルの所有者は、屋上に出るための出入口の煙突の上まで
つまり5階の高さまで避難して、ギリギリ助かったのです。

しかし、一緒に住んでいた家族は
避難所に指定されていた、4階建ての市役所の隣にある
3階建ての市民会館に避難して、命を失いました。

「河北新報ニュース ビル屋上に津波到達の表示板 陸前高田」

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
津波が来る前まで、旧道沿いには、
いろんな地方で、どこでも見かけるように
商店や住宅が並んでいました。

しかし、壊滅と報道される程に根こそぎにされて、
わずかに残ったコンクリートの建物も、現在殆どが解体されました。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
ビルには、津波の高さを示す看板が設置されています。

2011年3月11日、米沢祐一さんがビルの上で目撃したであろうものの、
あまりの重さを想像したとき、涙が出ました。


「忘れないよ、みんなで暮らした、この町」

この建物は災害遺構ではなく、
忘れたくない「思い出」そのものなのです。

大切にしたいと、自分も強く思いました。

第2回 国道45号陸前高田市 岩手県道141号という幹線道路

では、現国道から国道45号、旧道へと入ります。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕

最近、Google地図が更新されました。
存在したはずの国道45号が、今残っている部分だけ、極めて正確に記載されていました。


そして地図上から、震災以前に存在したはずの建物が、
すべて姿を消しています。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
この黄色いラインだけが、当時のままの姿です。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
相変わらず存在するのは、建てなおされた電柱と

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
おなじく立て直された、県名が記されたデリネーターの支柱のみです。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
なお、足元を全く見ないで歩いていると、こんな落とし穴が。
雨水が溜まり浸水すると、穴の姿も見えなくなり、とても危険です。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
今も変わらず、旧道は岩手県道141号という幹線道路であります。
高台の住宅へ、仮復旧した商店街に向かう車が、頻繁に行き来しています。

上の写真にて車の姿が見えないのは、時間をかけて車が途切れるのを待っているからです。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
朝6時から1時間が過ぎても、


国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
濃霧は晴れるどころか、時折深さを増していきました。

第1回 国道45号陸前高田市 七夕まつりの旧道

おまたせしました、新連載です。

RoadJapan 日本の道路、昭和の旧道を巡る旅-陸前高田 七夕

初の作品を形として入稿を終えて、早々に東北の道路を撮りに巡るという、
めまぐるしい夏でありましたが、そこで見たものを早速お伝えしたいと思います。

連載は七夕祭りの夜の部まで続きます。
序盤やや重い写真が続きますが、最後までご覧いただけましたら幸いです。





2013年8月7日、5度目の陸前高田入り。
道路沿いには、変化がありました。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
東日本大震災の津波の基準で作り直した、津波の警告標識です。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
坂を下ると、見覚えのある建物が待っていました。

気仙沼では晴れ間が見えていたのですが
やませと呼ばれる、長い時間続く霧に、覆われて
一本松の姿はまだここから確認できませんでした。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
青く塗装された右折レーン。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
幹線国道ながら、標識は仮設のままです。
大雨が降ると度々水没するため、左手に迂回路が新設されました。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
気仙大橋は仮設のまま、もう2年以上も現役を務めています。
橋の袂にも、津波の警告標識が設置されています。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
流されなかった看板をそのまま使って営業しているガソリンスタンドも健在。
早朝ゆえに営業前。午後に再訪して迷わず満タンにしました。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
およそ5km続く、陸前高田の国道45号の浸水域。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
あの道は、

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
そのままの姿で自分を迎えてくれました。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
目立つ建物が解体されたにかかわらず、
「まだ、そのままなのか。」と思い込んでしまう景色がそこにありました。

しかし、浸水域の再建計画の決定には、多くの地域で2年を要しました。
ようやく「そのまま」から動き出したばかりです。

国道45号陸前高田 旧道 うごく七夕 けんか七夕
でも、振り返れば高台には新しい建物が出来ていました。
少しづつ生活の再建は進んでいます。

8月11日(日)、コミックマーケット84にて新作2冊を販売いたします。

告知です!
イベント「コミックマーケット84(2日目)」に参加します。

開催日…2013年8月11日(日)10時~16時
場所は…西 あ 04b
です。


新作2作品を同時リリースいたします!


新作1 「道だけが残った、その先に」

RoadJapan 日本の道路、昭和の旧道を巡る旅-道だけが残った、その先に

2011年9月~2013年に巡った東日本大震災の被災地の道。
思い返せば、自分にとって「日本の廃道」にて
初めて寄稿したあの廃道とも深い関わりがありました。
最終的に完成した本は、今までの自分の活動の集大成となりました。

A4フルカラー64ページ。こちらコミケ会場では500円で発売しますので
浮いたお金でぜひ東北支援を!



新作2 「RoadJapanDisplay Vol.1」

RoadJapan 日本の道路、昭和の旧道を巡る旅-RoadJapanDisplay Vol.1

5年間のブログ「RoadJapan」での活動の集大成の写真集第1弾です。
合計60ページ、51作品を収録しています。価格は1300円の予定です。

1年半前、2冊の未完成の見本しかお見せできなかったものを完成させました!
リング製本になっており、折り返して飾ることができます。
自分が「欲しい!」と思うものを、形にしてみました。



ぜひ、可能でしたら会場まで足をお運びください。