病床から
6月中旬に私が患っている難病である【クローン病】の手術をしました。クローン病はどんな難病か、簡単に言いますと「口から肛門までの消化管 (主に大腸や小腸) 、どの部位にも炎症や潰瘍が起こり、下痢や腹痛を引き起こす病気」です。私は二十歳の頃に発症し、これまで何度も入退院を繰り返してきました。特にここ数年は体調が悪く、日常生活もままならない日々を送ってきました。病気の進行を遅らせる為に絶食を続け、その厳しい期間も2年半に及びました。これに伴う心的ストレスも昨年末から悪化してしまい、身体的にも精神的にも限界が来ていました。そして、Belvedereの来日期間中に緊急入院し、手術せざるを得ない病状まで来てしまったことを医師から告げられました。予定されていたツアーはRNR TOURSのクルー、そして各地企画してくださったプロモーターの皆様、出演してくださったアーティストの皆様、そして会場に来てくれたお客さんにまで助けてもらい、無事に終えることが出来ました。改めてこの場で感謝申し上げます。私にとって、手術を行うことを決断することは簡単ではありませんでした。私は過去に行った同様の手術によるトラウマがあり、その思い出にもひどく悩まされてきました。今から12年前、クローン病という難病に自身が侵されていることを受け入れる時間もないまま、緊急手術を行い、小腸にできた狭窄 (腸壁に炎症が起こり、潰瘍が腸を塞いでしまっている状態) を切除しました。切断された腸をつなぎ合わせた箇所からの出血がひどく、拷問のような合併症を起こしてしまい、術後の数週間、痛みによって気絶を繰り返すという絶望的な日々を過ごしました。先にも言いましたが、この経験は私の人生にとって大きなトラウマとなり、ほとんど簡単にそれを思い出すことができましたし、毎日のようにフラッシュバックしては「次、いつ倒れてしまうだろうか」と日常の陰に隠れていった難病の進行に怯え続けていました。内科治療も限界となり、6月中旬にやむなく手術をすることとなりました。それからの日々、まるで死刑の執行が近づいているかのような不安な毎日を送りながらも、それを紛らわせるかのように自分の仕事に没頭しました。それは手術直前まで続きました (SoftspokenやKRANGの来日準備、そしてTidebringerの来日が控えていましたし、個人的な仕事も忙しかったのでやることは無限にありました) 。当日は両親、そしてパートナーに励ましてもらい、手術に挑みました。今回の手術は前回のようなひどい痛みに身体と心をすり潰されるような感覚を味わうことはありませんでした。執刀医との打ち合わせで多くの痛み止めを打ってもらったからです。しかしこれは医療麻薬と呼ばれるもので、いくつかのひどい合併症を引き起こしてしまいました。その中で非常に強い恐怖を感じたのは、目の問題でした。麻酔使用の合併症に”失明の可能性”も少なからずあると明記されていたことをぼんやりと思い出したことを覚えていますが、不思議なことに、その時のことをほとんど覚えていません。手術から2週間が経過し、私は少しずつ回復し (目は元のように文字を読むことが出来るようになりました) 、こうしてインターネットの世界に戻ってくることが出来ました。そして再び寛解を迎える準備の為、自身の体と向き合う日々を送っています。今はこのようにしてインターネットで繋がることが出来ますから、普段とほとんど変わらず仕事をすることが出来ます。しかし、それを病床から続けるためには、この病気を方々に知っておいてもらう必要があります。まだ術後から時間が経過していない為、予期せぬ腸閉塞や吻合部からの出血といったリスクがつきまとっています。それは数ヶ月続き、ゆっくりと時間をかけて回復していくようですが、確実なことが言えないのが難病の難しいところであります。ですので、またご迷惑おかけすることも多いと思いますが、どうか私の状況を、難病と生き続けるという人生の困難さを理解していただきたいです。私はまだ歩き出す時でさえ、一つ深呼吸をしないといけないのです。自身の状況を文字にして書き起こしていると、悲惨な人生だと感情的になってきます。このような病気、慢性的な疾患、難病によって、今まで動けていた状態を維持できなくなることによる動揺は、病気である私が今、正常な状態の感覚を取り戻すことが出来たことによって捉えることが出来ると思います。それは本当に、良かった。私は戻ってきたと感じています。しかし残念なことに、完全に元の自分に戻ることは生きている限り出来ません。それは誰でも同じで、老化といったものもそうです。難病によって蝕まれていく感覚によるものを誰にも簡単に共有することが非常に難しいですが、無理やり表現するとしたら「老化」が分かりやすいかと思います。私にとってクローン病は今までの状態を維持することを考えるきっかけにもなっています。実際に、時としてクローン病は、これまでの自分が続いていくことを考える機会を与えてくれました。病い、私にとってクローン病というものによって、この問い直しが現実のものになって、人生の時間の節々に課せられてきました。今回は病気による人生の問い直しの中でも、1、2に匹敵するほどのものでした。そして、これからの自分がどうあるべきなのか、これまでの仕事を続けていくべきなのかどうかを考えるきっかけにもなりました (実際に私は今も葛藤を続けているところで、それは正常な状態であるとは言え、毎日のように揺らいでいるように感じています)。病いは「自分が自分である」という感覚の脆弱さを与えてくれるように感じます。「今までの自分であり続けるということ」を問うという、重大な決断を余儀なくさせてきます。人間はこのような問いを自らに投げかけることを普段避けて生きています。病いによって、自分自身にとっての自分というものが強制的に変えられてしまうという、暴力的な試練を受け止めながら、なお自分自身であり続けることが出来るか、という問いでもある病いは、順調であってもそうでなくても、自分の人生の目の前に突如として現れてくるのです。例えば世界がパンデミックに襲われた時のように、それまでのキャリアが突如として崩れ去っていく経験を私たちは味わいましたよね。病者、特に難病などの慢性疾患患者はそれを人生のうちで何度も、何度も、繰り返し、繰り返し、経験していくのです。そういう人生を、生きていくのです。私はそういう人生を生きていることを今、強く実感しています。ですから、この数年自分を苦しめてきた腸の狭窄部分を切り取ってしまったからといって、全ての不安が解消されたわけではないのです。寛解という状況は、完治とは違い、日常の影に病気が隠れている状態であるのです。人によっては、この状況の方が強い不安を感じるかもしれません。人間の生というものは本質的に昨日の自分には戻れないのであり、健康であり続けることは不可能です。これをまず、これからの人生を生きていく上で頭に置いておかなければ、私はまた多くの絶望で心的な苦しみに苛まれ続けるに違いないでしょう。これからどのように生きていくことが良いかは分かりません。日本中を駆け回りツアーをすること、本や記事を書くこと、もしかしたらもっと大胆に自分の人生を変えるべきなのかもしれない。今はとにかく、毎日痛みが小さくなるように祈りながらリハビリを頑張ります。それは、これまで共にツアーした世界中のアーティストからの励まし、RNR TOURSのライブに来てくれるお客さんやサポートしてくれるアーティストからの励まし、本のファンからの励まし、そして家族や友人の励ましによって頑張ることが出来ます。何気ない言葉も力になります。たとえそれが見当違いなもので、病者にしか分からない苦悩を逆撫でするものであったとしても、です。ほとんどそういう経験はありませんが、弱っている時は、どうにもマイナス思考に陥りやすいのか、かけられる言葉や態度に敏感になってしまうものなのです。長くまとまりのない文章になってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました。脇田涼平