【匠のみち】 ~白隠の足跡~
天澤寺
臨済宗妙心寺派 少林山天澤寺の本堂向拝彫刻
*昭和5年(1930)彫師 伊藤高芳
※伊藤高芳・・・
明治30年(1897)~昭和41年(1966) 富士市水戸島
神奈川県湯河原で旅館の次男として生まれる。5才の時自宅の階段から転落しその時以来片足が不自由になる。
大正3年17才の頃木彫の道を目指し上京し、浅草の後藤仙之助師の門をたたいた。後藤仙之助は東都後藤流、三代茂右衛門後藤正常の系統で明治18年(1885)成田山新勝寺額堂の奉納額に名を残している。
高芳20才の頃師のもとから年季明けして関西方面をめざす途中で、大正10年(1921)伊東の蓮着寺において宮大工の鈴木多吉に出会い、その年多吉の娘のぶと結婚し富士市水戸島に居を構える。わずか5年で横浜に進出、木彫の他輸出家具彫刻、海軍省への調度家具納入等商人としても活躍した。性格は豪胆であり又、きままで気がむかなければ仕事をしないようなところもあった。富士、湯河原、横浜と多忙な生活を続け、昭和39年脳梗塞のため倒れて療養を続けるが2年後の昭和41年(1966)ついに帰らぬ人となった。
実相寺釈迦堂向拝の他、富士市中里の天澤寺、柚木の天白神社等数々の名作を残す。東京都品川区上大崎の本願寺には高芳、誓司親子の作品が刻まれている。
富士宮市内では大正12年に再建された蔵屋敷稲荷神社の向拝に狐と振向獅子が残されている。
・他の代表作品: 本国寺(富士市今泉)妙松寺(富士市北松野)厳島浅間神社(富士市森島)瑞應寺(神奈川県湯河原町)住吉神社(神奈川県茅ヶ崎市) 他
天澤寺 本堂向拝 本堂向拝蟇股「十六羅漢龍虎図」
「十六羅漢龍虎図」拡大 本堂の山号扁額
向拝木鼻 左の「龍」 向拝木鼻 右の「龍」
向拝水引虹梁 左の「松」 向拝水引虹梁 右の「松」
向拝水引虹梁 中央の「鶴」
向拝手挟 左の「雲に鳥」 向拝手鋏 右の「雲に鳥」
本堂入口 左の「牡丹に獅子」 本堂入口 右の「牡丹に獅子」
向拝海老虹梁 右の「唐草」
向拝蟇股の裏側 蟇股裏側の刻銘「伊藤高芳 之作」