なぜ、私が保育者を目指したかというと、中学三年生の頃にある転機が訪れたからです。それは一番上の従姉に子どもが生まれたことです。
その子が生まれる瞬間、私は病院の分娩室の前で、家族共々、生まれる瞬間を今かいまかと待っていました。そして産まれて数分後、その子どもと対面することが出来たのです。
それから保育器に入れられて何日か経ち、赤ちゃんが母親(従姉)と同室で過ごせるようになりました。その日、初めて自分の手で、その小さな命を抱くことが出来ました。そして、力強い力でギュッと私の指を握ってくれたのです。その時、今まで経験したことのない感情が湧き上がってくるのを感じ取りました。
それから、母子共々退院して、毎日のように私が住む家に来る子どもを見て、同時に見よう見まねであやしたり、おむつの交換をしたり、抱きかかえて眠らせるように頑張ってみたりしました。
その子の成長をじかに感じて、見て取れる毎日を過ごしていきました。
そのうちに、漠然と「子どもの成長は凄い、こんな子どもたちと一緒に過ごしていきたい」と思うようになりました。
それなら保育者になる道があると考え、保育者になろうという気持ちを強めていき今現在に至りました。
それは「保育者になろう!」という強い決意をした、というよりは、じんわり保育者になろう、なりたいという思いが強まっていった、というほうがしっくりくる進路の決め方ですが、当時よりも今のほうがその思いは強まっています。
確かに単純な動機でこの道を選んではいないので、今まで机上で学んだり、実習で体験してきた中で「向いていない」や「やっていける自信がなくなった」と感じたことはありませんが(まず勤めてもいない、保育者の触りしか学んでいないのに、向いているもいないもありません)今まで想像してきた以上に、一人の人間を育てる保育者の務めに、恐怖に近いものを感じたことがないといえば嘘になります。一人の人間の基礎・基盤を培う時期である乳幼児期の保育を任されるといっても過言ではないこの職業は、それほどまでに重いものである、と学べば学ぶほどに実感します。生半可な気持ちで就くことは、許されない職業です。そのことを常に念頭に置いて、保育に臨みたいと思います。
そして、一人の人間、子どもの成長を任される責任において忘れてはいけないことが在ります。
それは、「保育者の人柄」であると思います。何より保育者の人柄がしっかりと確立されていないことには始まりません。人柄は、その人間が今まで経験してきた中で培われた全てが現れるでしょう。好ましくない人柄の保育者が子どもを預かり保育してしまったら、その子どもにとってどう影響してくるかは明白です。勿論私自身も様々な欠陥があると思います。そこをしっかりと補修することが目下の目標です。今からでは遅いかもしれないものも、放置するよりは断然いいと思います。人様を育てる職に就くのならば、尚更に。自分の為でもありますが、何より将来世の中を担う子どもたちのためにも、まずは保育者である者が自己確立をなしたいと思います。
将来と言っても後一年以内に、保育者の名を背負って社会に立つ日が来ます。その日までに習得すべき課題を身に着け、この人になら安心して預けられる、と思われるような保育者になるべく、努めます。
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先生からのコメント。
・特別な事情が無い限り、幼児は保育所は幼稚園に入園させる現代社会の仕組みを考えると、その職に携わる人材の確保と責任の重大さは極めて重い。このような尊い職種を生涯かけて携わるということの意義を綿h氏なりに考えるようになりました。
それは、「果たして自分に出来るかどうか」という不安よりも、自分の人生をかけた生涯の仕事という考えから、選ぶことへの意味を優先させるべきだと考える様になりました。
*改行と文節の長さについて、改善すると読みやすくなる。
*文節のまとめ方を工夫する。