最近、夢にパパが時々出てくるんです。
多分、会いたいな、会いたいなと思っているからだと思うんですけどね。

先月、早いもので一周忌でした。
パパが亡くなるまでの事を書こう、書こうと思っているのに書けなくてそうこうしているうちに1年が経ってしまった。

今年の5月に第1子となる息子が産まれました。

妊娠が分かった去年の9月、とてもパパは喜んでくれて私の顔をジッとしばらく眺めると「お前の顔つきからみて…きっとお腹の子はね、男の子だな」なんて笑いながら言った。顔つきが柔らかなら女の子、顔つきがキリッとしてたら男の子。よくわからないけどそんな迷信があるとか言って。

でも、パパはお腹の中の子の性別がわかる前に逝ってしまった。パパの言った通り、元気な男の子が産まれました。あんなに楽しみにしていてくれたのに、孫に会うことも叶わなかった。その事を思うと本当に悲しくて、日々バタバタと過ごしている中でもふと考えてしまって、悲しくてもう会えない、会わせることができないことがたまらなく悲しくなることがあります。

過去数年の写真をストックしてるAmazonプライムフォトを振り返りながら見ていて、パパが元気だった頃の写真はないかな、喋り声入ってる動画とかないかな、と振り返ってみると膨大な量があるのに1つも見当たらなくて、なんでもっと写真撮らなかったんだろう。一緒にだって撮ったら良かった、恥ずかしがらずにってただただ後悔するばかりだった。

最後に会話が出来たのは、亡くなる一週間前までだった。その頃の声は、もうほとんど掠れてしまって聞き取りづらくて、脳に星のように散らばっていた腫瘍のせいで会話もしづらくて、あまり会話という会話も出来なかった。それが声を聞けた最期になってしまった。声、忘れたくないな、忘れてしまったら嫌だなと思って忘れないようによく頭の中で覚えている声を思い出しているんだけど、夢の中ではちゃんとパパがパパの声で話してくれて目が覚めてから「ああまだちゃんと覚えてる、忘れてない」って安心するけどいつか思い出せなくなってしまいそうで悲しい。

夢の中に時々出てくる時くらいしかもう会えないけど、それでもいいから会いたいな。こんな時間に、突然こんな独り言みたいなこと言っておかしいかもしれないけど…。会えないことも、もう声を聞けないことも、忘れていってしまうかもしれないことも、悲しいよ。