実家のポストをみると
郵便物もそのままでした。


実家に
入るとキッチンは
荒れていて
何日も洗い物をした形跡がなく
食器などがそのまま放置されていました。

リビングへはいると
また、あの時の光景と同じでした。
入浴した様子もなく
母は薄汚れていました。


「起きて‼︎」


「起きて‼︎」 


   ‥‥


ふらふらと起きあがりました。


テーブルには薬がありました。

睡眠薬を多く飲んでいるようでした。

顔は酒の影響で

パンパンに浮腫んでいました。

廊下には酔っ払ってぶつかったのか

あちこちに凹んだ跡がありました。


私の力じゃ

無理だとこの時、初めて確信しました。


リビングから出て、家の外から

携帯で母の実家と

母の兄妹に連絡をしました


その晩、親戚が集まりました。

冠婚葬祭以外でこんなに集まるのは

久々でした。



母はいつもの母に戻っていたのですが

私には猫被りにしか見えませんでした。


この状況が続くと良くないと

今までの経緯を

みんなに知っておいてもらおうと‥


父が出稼ぎでいなかったので

しばらくの間、祖母がいてくれるように

なりました。

母も祖母がいる間は

普通に酒も飲まず過ごしていました

アルコールの離脱症状が

謙虚にでていました。


祖母も長くは居れず、1か月程たってから

自宅へ戻りました

私も何度か顔だしたり、母の兄妹も顔出したり

連絡をとっていましたが‥


初冬の寒い日が続いたある日



妹から電話がかかってきました




「母さん、また酒飲んで寝てるんだけど」


「また?ショボーン


「帰るよ私。子供達も居るから」


「うん」



電話口からはいびきが聞こえていました。


3日目の夕方


妹からまた電話がかかってきました。


「姉さん‼︎母さん、一昨日と同じ服で寝ていて起こしても起きないんだけど‼︎」


嫌な予感がしました。


「いびき同じ感覚でかいてる?」


「うん‥」


「何?酔っ払ってるんじゃないの?」


「吐いてる?」


「少し‥」


脳の障害かもしれない‥


「電話切って直ぐ、救急車呼んで‼︎」


「直ぐ、私も病院向かうから」


「わかった」


一旦電話をきり、10分位して

妹にまた電話すると

救急車が到着したようでした。


「意識ないって‼︎」



「脳梗塞か、脳出血」だと思う


救急隊の方の呼びかけが聞こえてきていました。


「大丈夫ですか」


「聞こえますか」



緊迫している様子が

電話口でもわかりました


搬送される病院を聞いて、車で向かいました。


次へ続きます