西方イスラーム哲学は、イブン・バーッジャ(?-1138年)に始まる。ヨーロッパではラテン語化されたアヴェンパーケという名で知られている。彼は、王朝の宰相を務めていた政治家でもあった。彼は、行政に関することでもあるが、仕事のために様々な知識を持ち合わせていた。このような政治家としてのプロフィールも反映して、彼は、ガザーリーのような神秘主義的な傾向を嫌った。
彼は、神秘家が求めるような感性的な能力ではなく、理性的な能力(知性)でこそハック(真理)が捉えられると考えていた。イブン・バーッジャによると、宇宙を構成するものの最下位の存在は、感覚的なもので占められており、この存在に知性は存在しない。知性としての人間の存在はこれより高度なものである。そしてより高度なものは、感性的な要素がなくなり、純粋に知性的な存在になるという。人間の知性の場合、感覚的なものはなくなるが、さらに上位に能動的な知性があり、人間の知性が最高位ではないという。最上位の存在、つまり人間よりもさらに上位であるが、これは最高に純粋な能動的な知性を持ち合わせた存在であり、この存在は、完全に幸福な存在であるという。この完全な知性との合一こそ、哲学が求めるものに他ならないのであり、この知性として存在(真理あるいは神)一になる時、最高の幸福が訪れるという。
このような、人間を含めたあらゆる存在者の中で、永遠的な能動的知性を最高の能力におき、人類の知性(これは個々の存在に還元されるものではなく、知性は人類全体に一なるものとして存在する考えていた)は、この能動的知性の流出に他ならないという考え方は、「知性唯一説」という形で後の中世スコラ哲学で大論争となった。これは後に述べるアヴェロエスの考えが基になっているが、起源はイブン・バーッジャといわれている。このよう知性的な神秘主義は、感覚的なものを排した傾向が認められ、ガザーリーのようなスーフィズムとは明らかに異質なものであった。
また前述のように、この哲学者は政治家としての顔も持っており、俗世の仕事で一杯であり、彼の希望でもあった哲学の仕事に打ち込むことがなかなかできなかった。それも反映して彼は、もっとも理性的な存在としての人間は、俗世から離れて一人孤独な道を歩まねばならないと考えていた。彼の代表作も「孤独者の嚮導」というタイトルである。この俗世(社会)と個人の関係は、次に現れるイブン・トファイルによって明確に意識されている。
参照元:ウィキペディア「イスラーム哲学」
翻訳時代には、イスラム教徒以外にも、翻訳活動に従事していた人物が多い。また同時代にキンディーのほかにイブン=ザカリヤー・ラーズィーがいる。また、ファーラービーの弟子には、アーミリー、ヤハヤー・イブン=アディーなどがいる。イブン=スィーナーの弟子には、イブン=マルズバーンやアブー=バラカート・バクダーディーなど師の継承をはかった人物がいる。
参照元:ウィキペディア「イスラーム哲学」
参照元:ウィキペディア「イスラーム哲学」
キンディーからアヴィセンナまで来て、神学者ガザーリー(1058年 - 1111年)の出現で東方イスラーム哲学は大きな変節点を迎える。バグダードのニザーミーヤ学院で教鞭をとっていたガザーリーは、神学者ではあったが、哲学的思惟方法にも長けており、本来の真理とは何か考えていたと同時に、アヴィセンナを代表とする新プラトン的アリストテレスのイスラーム哲学は、真理の形骸のみを知り、生きた真理を捉えようとしないと彼は考えた。そして、哲学者たちは、神の全知の否定や個物知などクルアーンの教えに反する内容を説いていたがこれを宗教的な立場ではなく、哲学的形而上学的な立場から反駁しようとした。著『哲学者の自己矛盾(あるいは自滅)』はその集大成である。
イスラム哲学者たちは、アリストテレスの影響で、世界は時間的には無限で、クルアーンのように神の創世という始原を求めるのは矛盾として否定したが、ガザーリーは、神の創世というは時間的な問題ではなく、本質的な問題であり、例えば太陽のように太陽の本体と光は同時に存ずるが、本質的に太陽があるから光を発せられるのであって、本質的に太陽本体が先に存在するといった感じようなものであるという。哲学者は、時間的な相対的な立場とこのような本質的な立場を混同していると批判した。この他に哲学者が否定した神の個物知の証明や、因果律否定など、後のイギリス哲学者ヒュームを先取りした内容の哲学を説いたりなど、多様な批判活動を行った。このような哲学批判は、元々哲学思想に反感を持っていた一般信者の人々に決定打を放ち、東方イスラームの各地でアヴィセンナの書が「無神論」と非難され、焼き捨てられたり踏みつけられたりする事態となった。
この事態にも関わらず、哲学者の中で反駁するものはおらず、古代ギリシア哲学の移入に始まった東方イスラーム哲学は徐々にその様態を神秘主義的なものへと変質していく。また、ガザーリーの批判に対する反駁は「自己矛盾の自己矛盾(あるいは自滅の自滅)」というガザーリー批判に呼応するタイトルの書を出したアヴェロエスに代表されるように、哲学の舞台はイベリア半島を中心とした西方イスラーム世界へと移って行く。
参照元:ウィキペディア「イスラーム哲学」
イスラム哲学者たちは、アリストテレスの影響で、世界は時間的には無限で、クルアーンのように神の創世という始原を求めるのは矛盾として否定したが、ガザーリーは、神の創世というは時間的な問題ではなく、本質的な問題であり、例えば太陽のように太陽の本体と光は同時に存ずるが、本質的に太陽があるから光を発せられるのであって、本質的に太陽本体が先に存在するといった感じようなものであるという。哲学者は、時間的な相対的な立場とこのような本質的な立場を混同していると批判した。この他に哲学者が否定した神の個物知の証明や、因果律否定など、後のイギリス哲学者ヒュームを先取りした内容の哲学を説いたりなど、多様な批判活動を行った。このような哲学批判は、元々哲学思想に反感を持っていた一般信者の人々に決定打を放ち、東方イスラームの各地でアヴィセンナの書が「無神論」と非難され、焼き捨てられたり踏みつけられたりする事態となった。
この事態にも関わらず、哲学者の中で反駁するものはおらず、古代ギリシア哲学の移入に始まった東方イスラーム哲学は徐々にその様態を神秘主義的なものへと変質していく。また、ガザーリーの批判に対する反駁は「自己矛盾の自己矛盾(あるいは自滅の自滅)」というガザーリー批判に呼応するタイトルの書を出したアヴェロエスに代表されるように、哲学の舞台はイベリア半島を中心とした西方イスラーム世界へと移って行く。
参照元:ウィキペディア「イスラーム哲学」