あなたの命はあなたのものじゃない。
あずかりもの。汚すことはゆるされているけど、最後はお返しするんだよ。図書館の本、破かないでしょ?
無気力な身体で、うまく自分に入り込んでいない解離した心で、2年ぶりに母校を訪ねた。
教員室の前で突っ立っていた私を見つけて、すぐに声をかけてくれた恩師に、そんなことを言われて目から鱗すぎた。
もしかしたら昔も、そんな話をされていた気がする。けど、忘れていた。
「死にたい」なんて、言ったことはないけれど。先生は見透かしたみたいにいつも、自死だけはするなと色んな視点から伝えてくれる。生きてるんじゃない、生かされてるんだって。
全ては自分の意志で、責任。
自分のみの意志で自分の世界を動かしていかないといけない。そう思っている一方で、
誰かや何かに救い出してほしい。と、無い助けや何かが変わってくれることを待っている。心の奥で期待している。
変われないのは、自分のせい。自分の意志が弱いせい。自分が過敏なせい。自分が考えすぎなせい。自分が悪い。そうやって逃げる。
でも何年も自分を責めていたら辛くなってくる。限界がきて、矛先が周りに向かっていく。自分のせいじゃない。親のせい。環境のせい。病気のせい。そうやって言い訳する。自分を守りにいく。
私は自分の意志で自分で選んで、ここに生まれてきた。自分で人生のシナリオを決めてきたの。だから全てが自分の問題。強い意志を持って乗り越えるべき。でも無理だから。自分で決めてきた人生で、自分のものだから、自ら終わらせてもいいよね。そう思ってる。
それこそ自己中。他者依存。甘え。現実逃避。
ぜんぜん認めたくないけど、そうだったのかもしれない。
私はそれを全く伝えていないのに、先生はまたもや見透かしたみたいに言ってきた。
自分のものだから、何してもいいわけじゃない。そもそも自分のものじゃない。赤ちゃんは「授かった」って言うよね。与えられている、預かりもので、あなたの命はあなたのものじゃない。
大事なことをずっと、在学中も教えてもらっていたのに、大事にしてもらっていたのに、なんでこんな数年で、すっかり忘れちゃうんだろうね。
先生の言いたいことはわかるよ。
でもだからと言って何をしたらいいか分からない。
いまの私には生きる意志がない。覚悟ない。
だから食べる気もない。生命を維持する行為を軽視してしまう。
朝起きる、食事をする、お風呂に入る、夜眠る。基本的なことを整えるべきなのは、わかってる。
でもできない。やれない。やる気がない。
生きる、生き続ける、そんな意志がなくても覚悟がなくても、たんたんとやればいい。そうなんだろうな。もちろん頭では分かっている。
でも私には生きる意志がない。
というよりほんとの本音は、治りたい意思がない。たぶん実は、怖い。元気になるのが怖い。
元気になったら、働いてお金を稼いで、毎日生きなければならない。その生活をできる自信がなくて怖い。もう何度も、堕ちては這い上がってを繰り返してきて。今はもう何度目かの大墜落。もう這い上がる気力がないんだよ。頑張っても堕ちるってわかってるもん。絶頂から堕ちることほど恐怖はない。もう2度と味わいたくない。元気が続く未来が見えないから、這いあがろうとするのが怖い。
もうひとつ。
元気になってきたね、もう大丈夫だねって周りに思われるのが怖い。
もう私をみてくれない気がする。構ってもらえない気がして寂しいから。ひとりで孤独に頑張り続けて耐え続けて、それを見てきてくれた数人の先生たちは、頑張りすぎな私を気にかけてくれてた。それがいつも嬉しかった。
先生たちが優しくしてくれるたびに、成長できなかった小さな私が顔を出す。寂しい苦しい、私を見て。甘えたい、構ってほしい。たぶん甘え切ることができずに、歳だけ重ねて分離してしまった、小さな私の最後の抵抗。
大人になりたくない
私が生き続けるために必要なのは、大人になる覚悟なのだろうか。でもきっと、「覚悟が決まるまで待つ」とか言ってたら、そんなものは一生こなくて。
大人になりたくない気持ちを持ち続けながら、毎日をたんたんとこなそうとする意志なのか。でもそれも違うかもしれなくて。意志よりも、「毎日することや目標を決めて、外部からそうせざる得ない状況を固めていく」ことなのか。
先生が言っていたことっておそらくそういうこと。でも今のわたしにはそんな気力もないし、結局できなくて自分責めが始まることは目に見えてるのよ。現にいま、毎日タスクのあるリモートワークしているけど、滞ってるもん。
だから待てばいい。いつかくるよ必ずくるよ。やろうと思える時が。やれる時が。10年20年待つわけじゃない、近いうちに必ずくるよ。だから生かされているうちは生きてろよ。
たぶん先生がくれたのは、そんなところ。