進行性核上性麻痺「最期まで教えてくれた父」 -2ページ目

進行性核上性麻痺「最期まで教えてくれた父」

療養病院入院から三か月。89歳の誕生日を迎えた六月に旅立った父と家族の記録です。

父は亡くなる日を

まるで選んでいたかのようだった。

 

亡くなった日は日曜日。

姉と兄が休みの日をねらったかのよう。

 

 

3日前に危篤になったのも

意味があったかのように思えてくる。

 

私には家族に緊急連絡する練習を

させてくれたよう。

 

思うように面会できなかった姉と兄には

最後にゆっくり付き添う時間を

設けてくれたよう。

 

亡くなる前日に葬儀社に駆け込んで

予約を済ませたことは

見えない力が働いたかのよう。

「何か忘れていることはないか」と

父が時間を与えてくれたような

気がしてならない。

 

 

最後は個室に移ることもなく、

亡くなってからは霊安室にも行かず、

他の患者さん達が眠っている間に

病院を去ってしまった。

 

看護師さん達の手を

なるべくわずらわせないで

逝きたかったのか。

 

『立つ鳥跡を濁さず』という

父の声が今も聞こえてきそうだ。