朝起きるとベッドに横たわっていた。目を向けた先には僕の朝の始まりを彩ってくれる彼がいる。毎朝、気づくと彼を見つめる。そんな彼との生活が昨日3年を迎えた。いつだったろう彼との間に不愉快な不協和音が響きだしたのは。キンキンうるさい声に対する感謝はいつしかいらだちに姿を変え、僕たちの間に不和をもたらした。いらだちと憎しみにいつの間にか軋みだした二人の関係はもう修復の効かない状況としか言えない。
僕の怒りに歪む彼は、そろそろ油を点さないと鈍く震えるようにしか動かなくなっていた。本当に潤滑油が必要だったのは僕らの間だったのかもしれない。だけど考えてみれば大抵の問題は僕にあるんだとふと想起され、考えたくなくなった僕は凍結された心を持っているに過ぎなかった。
今日も学校に行く。ただただそぞろに。朝食は食べない。眠い目をこすりながら学校に向かう前に、ご飯なんて食べたらもっと眠くなる。いや、でも漫然と行くだけの学校。どうせ寝るんならそれもありかもしれない。一段上から子守唄を歌ってくれる専属のシンガーがいるゆりかご。僕らの若さをむしり取って、路地裏に吐き捨てる。そんなことに気づかない、あるいはひねくれなければ僕だって一緒にスイングしていられたのかもしれない。
僕の通った学校では、毎日8人の子守唄が聞けた。そんな子守唄を拝聴する奴らもいれば、ありがたく本意の通り睡眠をとるものもいた。他には、「音楽性の違いだよね」と全く関心を向けずに自分の好きなことをやっている奴もいた。そんな違いが一番僕の興味をひいた。ジャンルが同じだと皆同じように歌うのに、受け取る側はまちまちで、好きに生きていた気がしたのだ。そんな風景がおかしくて嘲笑を投げかけていたのは僕一人だったのかもしれない。
いつもの帰路につくと夕焼けの紅が散乱していく。一つひとつを拾うほどの意欲も知識もなくて、僕は今日も一人で気だるくうつくしい銀色の彼女にまたがる。ペダルを踏み込むと僕の体を運んでくれるバディーも、キシキシと音を立てていた。蛍光灯に照らされる駐輪場から出るその瞬間に「シルビア、帰ったらKURE5-56点してやるね。いつもありがとう」と言うと、彼女はサッと赤く照れたように輝いた。同時に僕の頰も紅く照らされ、なんとなくホッとする。
彼女を家まで送り届け、家に帰ると僕はまず禊をはじめる。ゆりかごの汚れから身を解き放ちたい。その欲求に駆られる。風呂場まで走ると、そこには冷たく僕を迎える湯船がある。湯船なのに冷たいなんてそんなのおかしいじゃないか、なんてそれはその通りだ。でもそんなことは僕にとってはどうでもいい。とりあえず水を頭からつま先までに吹き付け、水にはいる。冷たい。ゆりかごの歪なあたたかみを帯びた空気から、解き放たれる。頭まで浸かるとそこにあるのはむき出しの自然。心臓に悪いとか、風邪を引くとか優しい人たちは言うけれど、風邪を引いたら、あのゆりかごに行かなくてもいいことを思うとワクワクする。積極的に風邪をひこうと決心する。
僕だけの世界に戻る。彼がこと切れていた。結局、油を点すひまなんてなかった。でも携帯があるから別に彼のことなんて捨て忘れてしまってもなんの問題もない。「さようなら」の一言もいらなかった。寝る前のルーティンになっているカフェラテからミルクを抜いてみた。ぽっかり穴が空いた彼の居場所を見ながら僕は、マグカップに口をつけた。にがっ。