(穏やか、希望を持ち得る)
母が息を引き取って2日です。
母は今も、
リビングのベッドです。
とても自然で、
穏やかな表情をしています。
お化粧もして、
とてもきれいです。
ちょっと声をかけると、
返事をしてくれそうな雰囲気で、
光の加減等で、
『今、動いてた?』
と錯覚することも
何度かあります。
2つ前の記事のコメント欄に
少し書きましたが、
訪問看護師さんが
本当に良い方で、
細やかな配慮に何度も
助けられました。
母の身体と心に
寄り添ってくださり、
感謝してもしきれません。
母は最後まで、
『家が良い』と
言ってました。
もしも、
緩和ケアに運んでいたら、
痛みと闘う時間が、
(合計で)数時間、
減ったでしょう。
でも、ずっと側にいた私は、
家で本当に良かったと、
思っています。
緩和ケアの様に、
注射や点滴での鎮静は
できません。
でも、
医療用麻薬(飲み薬と貼り薬)
での鎮静が、
上手くいっていた
時間もたくさんあります。
様子が変わって、
『あと1時間程』と、
言われてからの、1時間半。
あの時間が、
どれだけ貴重だったか。
家族で母を囲み、
交代交代に手を握ったり、
身体をさすったりしました。
痛みが和らぐ時間に、
私達の呼びかけに
反応してくれていました。
頷いてくれたり、
名前を呼んでくれたり。
『最期はこんなに意識がはっきりするのか』
と、驚いた程です。
誰が話しているのかを
きちんと把握して、
しっかり反応を
返してくれました。
遠方の伯父
(母の親兄弟の中で唯一、生きている)とは、
テレビ電話を繋ぎました。
伯父の声に『お兄ちゃん』と、
しっかり言葉を発しました。
次女は、
ギリギリ間に合いませんでした。
でも、次女とも電話を繋ぎ、
次女と孫5の声に
しっかり
反応していました。
もうあと数分という所で、
『お母さん、次女が来たよ、間に合ったよ』
と、私は嘘を付き、
次女も電話越しに
『お待たせ。来たよ。家族みんなに囲まれて、幸せやね、お母さん』
と、声をかけました。
もう、目が見えず、
意識も遠のいていましたが、
明らかに嬉しそうな表情をし、
頷いて喜んでいました。
最後の最後。
(5分程だと思うのですが、)
本当に穏やかになりました。
もう、痛みを全く感じ無い様で、
私達は母の身体を、
たくさん触りながら、
感謝をたくさん伝えました。
どんどん柔らかい表情になり、
何一つ痛みも無い中で、
皆に見守られて、
皆の声を聞きながら、
とても穏やかに亡くなりました。
母が私達に遺したモノは、
本当に本当に大きい。
例えば、私の娘達(孫1と孫4)は、退院してからの45日間を、ほぼ毎日、バーバと過ごしました。
最後の数週間は、娘達も一緒に泊まり込んでました。
どう言葉にしたら良いのか、
良い言葉が見付かりませんが、
生きることの意味や、
その大切さを
娘達に教えてくれました。
辛いことがあっても、
前を向いて進んでいく力を、
プレゼントしてくれました。
決して、綺麗事だけではないということ。それでも、生きていくということ。
人と関わっていくということ。
(やはり言葉では上手く表し切れません。)
長文になり申し訳ありません。
ブログを読み返すと、
『みんなが好き』という記事で
痛みと闘っている内容を書き、その次の記事が、
『本当にありがとうございました』という報告記事になってしまっています。
『このままでは、母が痛みと闘い続けるだけの最期だったみたいになってしまう。それは、違う。』
と感じて、追記しました。
母は最期まで、
母らしく、
強く、優しく、賢く、
思い遣りに溢れ、
そして、とても美しく、
可愛い人でした。
長文を読んで頂き、
ありがとうございました。
皆様のコメント、1つ1つ、
大切に読ませて頂いています。
母を支えてくださり、
母を好きになってくださり、
本当に本当に
ありがとうございました。
皆様と、
皆様の大切な方々の今日が、
穏やかな1日となります様に。
長女
