蟹座の3回目、『母との和解』。。なかなか興味のあるタイトルです💦

人生相談の経験の長い愛先生は色々なパターンをご存知で、

つまりは夫婦関係が良好であったかにより、母が生き延びるために子供が必要であったと🤭

分かりやすいのが、母子一体化のステージママやスポーツママ。。

 

ここでは愛先生のお話を、1975年の9歳の時に精神分裂病と診断された母に40年

振り回された私の体験を👆として記しながらまとめていきます。

 

 

孤独な母は子供を支配する、

支配の方法により子供は傷つく。。

「私は女であってはならない」と命令されて女として歩めなくなる娘は多い

👆

そうでした。母から「貴方は女中さんのように貧相で華がない」「そんな人を好きになる人はいない」と思い込まされていました。

 

「私は幸福であってはならない、大人になってはならない、利口であってはならない」

思い出して自分の感情に気がつく事。

思い出すことが大切。

どなたにもそのような記憶はあるのでは?

 

母のために使用された自分、自分は母のために存在しているのだ。。

優しい子供は自分の席を譲ってしまう。

👆

私は40年そう思って、思わされて生きていました。

母を見送った時、自分の使命は果たしたとも感じ、生きる気力がなくなりました。

 

母との訣別

①母からエネルギーを奪われることを拒否する

②母と考えが違うことを躊躇わない

③良い子でいることを辞める

④母に対する憎しみを自分に許す

⑤物理的に遠ざかる

👆

母を見送る5年前、1年かけてやっと措置入院させた母が、

「話したいと」言っていると病院から呼び出されてお見舞いに行ったその夜、

全身蕁麻疹が出ました。そこでやっと気がつきました、3度目で気がつくお人好しな私。

蕁麻疹を治すのに4ヶ月もかかり、、、。

その後、病院から電話がかかってきても、お見舞いに行きませんでした。

自然と母に対する憎しみを自分に許していたから出来た行為だと思います。

 

人間の第一欲求、劣等感を否定する、隠す

第二欲求、不安より不幸を選択する

👆

思い出すと、常にエネルギーを奪っていた母。。

丈夫でない私の身体はますます丈夫でなくなっていったのです。

それに気が付けないので、

同じ様に奪う人と結婚しても気が付けないのです。

母を見送り3年目、色々あり元夫が帰ってくると蕁麻疹が出るようになりました。

蕁麻疹を見せても労りの言葉はなくて、悲しみは増しました。

治療に大金を投じましたがそうしないと生き延びることは出来なかった。

元夫に求婚された時、承諾したのは、父が胆嚢癌かもと言われて大丈夫であった

後です。そう不安から逃げたかったのもあったと思います。

不安から結婚する人も多いのではと感じています。

不安は二人分でどんどん大きくなるばかりです、

ご注意ください⚠️

 

 

代わりの母なるものを探す。

たとえば大木を探す。

話しかけたり、母と一緒にいるような大木。

ただ貴方であるが故に愛おしい。

ただ貴方であるが故に魅力的である。

ただ貴方であるが故に素晴らしい存在である。

ただ貴方であるが故にかわいい。

自分の身体を、

動物が一日2時間かけて触る・舐めるように愛おしむ。

自分が救われないと、母も救われない。それは自分自身の獲得、

いつでも自分を愛せる行為がさする。

👆

確かに、自分の身体を2時間かけてさする、お手入れすることはない。

ボーっとしながら、さすって日々を暮らしていきたい。

 

 

愛先生の仰せのように、世の中は簡単な原理でできているはず。

難しくしているのは、人間なのだと感じられる今日この頃。

エネルギーを奪われない人間関係を築いて行きたい。

 

最後までお読みいただきありがとうございました🙇‍♀️