慢性腎臓病(CKD)になるまで
10歳の頃の尿検査で蛋白尿が出ていて、最初は経過観察だったけれど、その後の風邪で肉眼でわかるくらいの血尿が出て、緊急入院。それから腎生検(腎臓の組織を太い注射で取って調べる)をしてIgA腎症というアジア人に比較的多い症例であることもわかり、治せる可能性も0ではなかったからプレドニンや苦い漢方薬、ステロイド投薬の長期入院、ステロイドパルスや扁桃腺摘出やら、今思い返すとたくさんの治療をしました。ただ、今になってわかることは、治療というのは「治したい」という本人の意思が肝心。当時10歳の自分はどうも「めんどくさいこと」「親に言われるからやること」という意識が強かったように思う。特に、腎臓病は血を流す訳でもなく、どこか痛む訳でもない。それなのに色々な検査を受けて、塩分やタンパク質を制限されたりする。薬のプレドニンは記憶の中ではすごく苦くて、飲んだら体がだるくなる、顔は副作用でムーンフェイスと呼ばれるように、まんまるになる。病院食はひたすらに不味くて、ご飯を食べきれないから母親が「ごはんですよ」を持ってきて看護師さんに没収されたり同室の女の子はお母さんに作ってもらった「たらこパスタ」をなぜか病室で食べてたのを今でもよく覚えている。母親には「人工透析になったら大変なんだから」と教えてもらったし、もしかしたら子どもも持てないかもしれない、とか言われて「なんだか大変な病気になってしまったな」とは思ってもどこか他人事のような気持ちで居た。意識付けがどうしても難しかった。おかげでよーく薬の飲み忘れ、逆に反抗して、薬を飲むのをボイコットしてみた時もあった。「もし」なんて言っても始まらないけれど、もっとちゃんと、薬を飲んでたら、もっと塩分制限をしてたら、今は寛解して薬も飲まずにいられたのかもしれない。でも、当時は特に、投げやりな気持ちがあって、自分の身体を大事にすることができていなかったのは事実。そのくせ、他責思考だから本当にタチが悪くて、母親の食事管理のせいにしたり。自分の病気に向き合って治療をしていくことが私にはとても難しいことだった。それでも、腎臓病になってから30年経って、できないかもと言われていた子どもが二人も居て、好きな仕事をして、前よりも地に足をつけて生きている実感がある。たまたま腎臓の悪化が遅かっただけかもしれないけれどこの状況を悪くさせたくない。自分なりにもう少し取り組んで行けたらいいなと思っています。