──「経験」と「概念」の話

大晦日にNetflixで配信された

映画『ひゃくえむ』を観たあと、しばらく何も考えられませんでした。

 

 

熱血とか感動とか、そういう分かりやすい後味ではなくて、
「自分はいま、どんな人生の走り方をしているんだろう」
問いが残る映画でした。

 

さらに、そのあとに観た考察動画が、個人的にかなり刺さっていて、
この映画の見え方が一気に変わりました。

 

※ 考察動画:

人は何のために努力し、何のために生きるのか?映画『ひゃくえむ。』徹底解説!

(京都大学特定准教授/文芸批評家・浜崎洋介)

 

 


 

この映画は「経験」と「概念」の物語だった

考察動画で一貫して語られていたのは、
『ひゃくえむ』は 「経験」と「概念」の対立を描いている という視点でした。

 

ここでいう「概念」とは、
将来こうなるはず、失敗したら終わり、評価されるのが正解、といった
まだ経験していないのに頭の中で作られた基準のことです。

 

一方で「経験」は、
実際にやってみたときの怖さや手応え、悔しさ、歓び、失敗や成功の感覚そのものです。

 

『ひゃくえむ』では、
概念にとらわれた瞬間に選手たちが苦しみ、
経験に立ち返ったときに再び前に進める姿が繰り返し描かれていました。

 


 

「生きる意味=ガチになること」なのかもしれない

YouTubeや作品を通して、特に印象だったのがこの考えでした。

 

生きる意味・歓びって、結局「ガチ(本気)になる瞬間」なんじゃないか。

 

勝つことでも、評価されることでもなく、
本気で何かに向き合っている状態そのものが、一番幸せなのではないか
という話です。

 

『ひゃくえむ』では、
勝敗の結果が最後まで描かれません。

でもそれは、結果がどうでもいいからではなくて、
「ガチになれたかどうか」こそが本題だからだと思いました。


 

財津の言葉が、この映画をすべて言い表している

 

特に印象に残ったのが、財津の言葉です。

 

「浅く考えろ、世の中舐めろ、保身に走るな、勝っても攻めろ。」
「恐怖は不快ではない。安全は愉快ではない。不安とは君自身が君を試す時の感情だ。」

 

これって、無責任なことを言っているようで、
実はめちゃくちゃ本質的だと思いました。

 

「浅く考えろ」は、
将来の打算不安で頭を埋めるな、という意味だし、

 

「世の中舐めろ」は、
社会が言ってくる“正解っぽい声”
そのまま信じるな、ということだと思います。


また、「恐怖や不安=悪いもの・対処するもの」と考えていた自分には、
衝撃で、本気になる直前に現れるサインなのだと感じました。

 


 

恐怖や不安は「概念」から生まれる

 

また、動画の中で語られていた解釈が、とても腑に落ちました。

  • 恐怖や不安は、まだ経験していない未来=概念から生まれる

  • 自信や動機、信念は、必ず経験からしか生まれない

だから基軸は明確で、
とにかくやってみることが大事なのだと思います。

 

やってみて、失敗して、またやってみる。
その中でしか人は強くなれないし、
外から聞こえてくる雑音は消していくしかない。

 


 

就活とキャリアの話にも、まったく同じことを感じた

 

動画にもありましたが、就活の話にもそのまま当てはまると思いました。

 

「どんなキャリアが正解か?」
「将来安定するのはどこか?」

社会をほとんど知らない段階なのに、
勝手に「キャリア」という概念に縛られて、


自分の経験から生まれた
「やりたい」「面白かった」という感覚を
見失ってしまう。

 

そして結局、

  • 評価されていそうなところ

  • 安全そうな選択

  • 周りが納得しそうな道

こういう“雑音”に引っ張られてしまう。

でもそれって、
人生を走る理由を外に置いている状態なんですよね...

 

 


 

経験から生まれた信念だけが、前に進ませる

 

映画と動画を通して、結局大事だと思ったのはこれでした。

  • 自分の信念

  • 自分の手応え

  • 自分が「ガチになれた」経験

これだけが、
現実にぶつかったときに前に進ませてくれる。

『ひゃくえむ』は、
その当たり前だけど忘れがちなことを、
100m走という一番シンプルな形で突きつけてくる映画でした。

 

また、最後に残った問いはひとつです。

”自分はいま、ガチになれているだろうか。”

 

それを考え続けるきっかけをくれただけで、
この映画を観た価値は十分あったな、と思っています。