こんにちは!

 

 

原田メソッド認定講師の河村厚志です。

 

本日は前回の記事に引き続きまして、事業継承問題について書きたいと思います。

 

本日は私がどのようにして、事業継承を成功させることができたのか。という事についてです。

 

まず初めに、おかげさまで、ここ数年、外部の方(金融機関、クライアント、同業他社等)から高い評価を頂けるようになりました。

 

債務超過からの復活やメーカーへのチャレンジ、中国での貿易業務等、様々なチャレンジを通じて現在があるのですが、

 

みなさんの興味、関心の一番は事業継承でした。

 

それほど、世の中には事業継承でお悩みなんだと感じました。

 

私は自分なりに考え、結果的にうまく会社を引き継ぐ事に成功しました。言い換えるとそれは私の強みとなったのです。

 

今から8年前

 

私は会社を引き継ぐ為に、自らの経営する飲食店を閉店し実家に戻ってきました。

 

子どものころから、ありふれた当たり前の風景、工場経営する両親に育てられその景色、雰囲気は30年たっても全く変わらずでした。

 

ところが、ひとつ大きく違った事がありました。

 

それは、世の中でした。

 

言い換えると、縫製工場を取り巻く環境が激変していたのです。

 

私の両親が会社をスタートさせた43年前、今とは全く違う環境でした。

 

工場、売り手市場の時代だったと聞いています。

 

ブランド志向が高まり、高級な洋服がバンバン売れ、いまほど、海外で生産インフラもない時代です。

 

私の両親もゴルフ会員権、不動産、高級車と世間のサラリーマン家庭に比べると随分、ぜいたくな暮らしだったと思います。

 

それが35年たったころ

 

ファストファッションの流行、グローバル化により国内流通量に対する生産シェアは3%を切ってしまい、国内の縫製工場は疲弊しきっているようでした。

 

縫製工場はピーク時の10分の1にまで減少し、生き残った会社はギスギスした感じで前向き、ポジティブな姿勢を失っているかのように見えました。

 

多くの工場で横行する賃金未払い等の違法行為。

 

まるで、”赤信号みんなで渡れば怖くない”と言わんばかりでした。

 

皆、これが当たり前、また行政ですら見て見ぬふりをしているかのように感じていました。

 

幸い弊社は両親がバブル期に貯蓄したお金を会社に貸し付け生き延びている状態でした。

 

この現象は零細企業に多い状況で、後継ぎ問題を難航させる問題もひとつと認識しています。

 

そのような状況で、家業の縫製工場に戻り、目にした現実はあまりにも、厳しく、自分が培ってきた経験が全く通用せず、何を言っても”反対””どうせ無理”で諦め感が漂っている状況でした。

 

もともと縫製工業は戦後、家内工業で立ち上がった工場が多く存在していました。

 

2018年の賃金統計調査でもわかるように、大阪府の男女平均年収は207万円、国内の全ての産業で最下位という業種です。いかに、もうからない、厳しい加工賃での業種、ということがお分かりだと思います。

 

当時の弊社はリーマンショックで抱えた傷を引きずっての経営でした。

 

多額の借入金の返済に苦しんでいたのです。

 

また、先述しましたよう縫製工場を取り巻く環境は激変しているにもかかわらず、相変わらずバブル期の夢をどこかで信じ、変われない状態が続いておりました。

 

その当時、最も厳しいと感じていたことのひとつが、閑散期です。

 

アパレルの縫製工場は年間のうち2~3割閑散期が存在します。

 

百貨店等でクリアランスセールなどを行っているときは在庫処分ですので、基本的には受注が減ってしまいます。

 

どの業界でも閑散期はあると思いますが、縫製の場合この閑散期の落ち幅が繁忙期の半分、ひどい時は3分の1にまで落ち込んでしまうのです。

 

経費のほとんどが固定費ですので、閑散期で一気に赤字が確定してしまう位のダメージを受けてしまうのです。

 

 

そんな中、変化を起こそうとするとわかってはいるができない。30年間培ってきたものを変えるのは、不安だからです。

 

 

「今までこれでやってきた」

「今変わらなければ、明日の後悔に変わる」

 

毎日のように親子ゲンカです。

 

そんな中迎えた倒産危機。

 

キャッシュフローがまわらなくなり、金融機関からの資金調達が厳しくなります。

 

なんとか短期で借入に成功したものの、自転車操業状態です。

 

時間がない

 

お金がない

 

そのような状況を脱するには、変化するしかないのです。

 

次号ではその変化をどのように起こしたか?について書きます。

 

35年間の会社経営の中で培ってきた強み。

 

その強みが、手入れしなかったことにより、色あせてしまい、何の特徴もない会社になっていました。

 

今日はここまでです。

 

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次号へつづく