こんにちは!
ここ数年、仕事や環境の問題もあるのでしょうが、よく「事業継承問題」つまりは「跡取り問題」について話を聞かれる事があります。
ちょうど1年前の今頃、堺市の発行する経営マガジン(雑誌)の取材を受けました。
当社も7年前にこの事業継承問題で会社を引き継ぎ、その当時債務超過で倒産寸前だった、会社を復活させた事が、インタビューの的でした。
”なぜ、復活できたのか?”
”どのように、代替わりしたのか?”
関心はこの2点でした。
実は3月末も大手の金融機関の役員さんから、同じ内容のヒアリング依頼が入っており、
いかに、中小零細企業がこの問題で頭を抱えているか、関心が高いかが伺えます。
今回はどのように復活できたのか?ではなく、どのように代替わりしたのか?にスポットをあててご説明いたします。
日本の成長を支えた、ものづくり時代
戦後74年。日本経済は、焼け野原の中から奇跡の復活を遂げました。終戦からまもなく、始まった高度成長期(1954~73年)には、GDP(国内総生産)成長率が毎年8~13%に達するという驚異の伸びを達成しました。
80年代には、バブル景気の中で絶頂の時代を迎えました。
ところが、90年代に入ると状況は一変します。バブル崩壊とともに日本経済は坂を下り始め、日本企業は輝きを失ってきました。
1995年ウインドウズ95の販売をきっかけに、パソコンが爆発的に普及し、インターネットの浸透が始まりました。あらゆる情報と技術がデジタル化し、新興国でも規格化された機械を導入して、ネットに接続すれば、熟練工なしでも一定以上の品質のものが大量生産できる。情報化社会、そんな時代がここから始まったのです。
それまでの日本は工業化社会で、ものづくりを得意とする国でした。メイドインジャパンは世界のブランドとして君臨していました。
工業化の背景の中、ものづくり大国の日本は中小企業において、下請け企業が多く存在しました。経済産業省のHPによると、2007年度の親事業者から下請(注)をした企業数は31万6千企業(中小企業に占める割合47.9%)となり、半数近い企業が下請を行っている、とあります。
ものづくり、まじめでコツコツ、メイドインジャパン、品質命で頑張った会社が優秀とされ、多くの下請け企業が存在する結果となったのです。
ここで、平成元年と平成30年の世界の時価総額ランキングを比較したいと思います。
平成元年では10社中7社の日本企業が君臨したのに対し、その30年後の平成30年ではトップ10はおそか、国内トップのトヨタ自動車でさえ、35位になってしまったのです。
この30年で日本は、世界から取り残されてしまったのです。
農耕民族でまじめにコツコツ、ものづくり時代に大活躍した日本人は情報化社会になり、変化への対応が遅れて行ってしまったからです。
そのような煽りを受けた下請けは、元受けの会社の業績に大きく影響されてしまいます。
グローバル化による厳しいコスト競争に巻き込まれ、特にITが発達し、変化のスピードが速まり、流行を察知し遅れてしまうと大手の会社でも簡単に業績を落とす時代になりました。
まるで、下請け企業はどんどん少なくなっていく「椅子取りゲーム」状態の渦の中に、巻き込まれてしまったようでした。
メイドインジャパンという言葉がはやったのはひと昔前。
今や我々ものづくり縫製業界は工場数10分の1にまで減少、生産数は国内流通量の3%以下にまで落ち込み、縫製のメイドインジャパンはもはや、絶滅危惧種状態です。
また、30年前より外国人技能実習制度により、労働力を外国人に頼り、技術が流出、またAIの発達によりオートメーション化が進み、ますますその需要、必要性が少なくなってしまいました。
団塊の世代が作った時代は、このように過ぎ、生き残った企業のみが存在する結果となったのです。
継承のポイントとは
工業化、作れば売れる時代。
そんな時代に繁栄した日本の企業はものづくりと共に発展したといっても過言ではありません。
しかしながら、情報化、グローバル化により失われた30年で、多くの企業が倒産しました。
オーナー企業で社長がバブル期で稼いだ個人のお金を会社に貸し付けて、なんとか生き延びているという会社も多いのではないでしょうか?
そのような中、事業を継承することは容易くありません。
よく「2代目は会社をつぶす」と言われます。親の作った会社を引き継ぐのは本当に難しいのです。
私は、事業継承において引き継ぐとは親を超えること、と考えています。
親を超えるとは、規模や量だけではありません。そもそも、時代が違うので同じ事をやって維持しようとしり、超えようとする事に無理があるのです。
それと、もうひとつ事業継承問題には親が子へ任せることができるかどうか問題があります。
会社を経営して30年、社長つまりリーダーの交代時期、長くやりすぎると企業は腐ると考えています。
良くしていく、さらに発展させる事を思えば、やはり後身を育てる事が重要です。
徳川家康は関ヶ原の合戦に勝利した57歳で、重臣達に「跡継ぎの候補を考えよ」と命じました。
家康は自分ひとりの考えではなく、家臣の意見を聞いて「秀忠」という後継者を選んでいたのです。
秀忠は、家康の三男で、知略や武勇では結城秀康に及びません。
しかし平和を見越した家康は、性格的に温和な秀忠を選びこれは、時代の変化を見越した人選と言われています。
また、野村克也さんは晩年
”人を遺すを上とする”
とおっしゃっていました。
2020年のプロ野球を見渡すと、実に多くの野村さんの弟子が指導者になっています。
これほどまでに、多くの優秀な指導者を育成することは本当に凄いことだと思います。
育てるとは任すこと。任すでは弱いです。任せきる事です。
そして、事業継承において任された側に必要なことは、失敗を恐れず、新しいことに挑戦、変化への対応力です。
またそれまでの会社の強みを生かし、時代の先を見据えた事業に挑戦。
理想は下請けではなく、0から1で生み出すオリジナルの開発。または、世の中の困りごとと自社の強みのマッチング、つまり、ニーズの模索です。
未来志向で時代を見据え、変化を恐れず挑戦する勇気がもっとも必要な力だと考えます。
ここまでが事業継承問題~その一~となります。次号では当社がどのようにして事業継承に成功したのかを書きたいと思います。
つづく