今日は、昌磨君成分があまりありませんよ~

私の家で先週起こったことを書きます。

 

それは木曜日のこと。

 おばあちゃんが突然倒れて救急車で

運ばれたのです。

先に結論を言うと、なんでもなかったんですけどね✌️

 

 椅子に座って居眠りしていたおばあちゃん。

ドンドンという音がするので、(うるさいなあ)と思って目をやると、

首が後ろにがっくり垂れて、ビクンビクンと痙攣してる😱💦

痙攣するたびに、体が跳ね上がって椅子の後ろの扉に頭がぶつかる音だったのです😱

 びっくりして駆け寄ると、今度はゴオオ~といびき😱

顔面は蒼白・・・というか色がない😱💦

 

大慌てで救急車を呼びました。

(焦りすぎて、110番にかけそうになった)

お昼少し前だったので、急いで姉にお昼ご飯と薬を届け、

保険証類を用意して、到着を待ちます。

 

消防車と救急車が到着する直前、

おばあちゃんが目を覚ましました。

何事もなかったようにケロッとしてます。

救急隊の人がバラバラと入ってくると、

「おや、こんにちは」と笑顔でお迎え😳

 

 この時点で、(あれ?お騒がせ救急車になっちゃったかな?)

という気もしたけど、倒れ方が異様だったので、

そのまま検査のため病院に搬送し、私が付き添いました。

主人は、今ヘルニアが悪化して、腰痛でやっと

動いている状態が1ヵ月続いていて、

座ることもできないのでお留守番

 

 検査の結果は幸いどこも異常なし。

「一時的な意識喪失ですね。まったく問題ありません。」

 ………という訳で、無事に帰宅できました。

おばあちゃんはいたって元気。

(本当に焦りましたが、よかったです)

 

 私・・・

おばあちゃんが目の前で倒れたのを見て、

あまりに、このまま亡くなるような

有様だったので

 

 人は死ぬときは死ぬ

 

というのを強烈に感じました。

その時はどうにもならない。

どんなに家族が同居してても、

管理しきれない。

「死」は、人の手にあまるもの。

(今まで頭ではわかってたけど

視覚で理解した)

 

 だから、家族はうしろめたく

思わなくていいんだ、と。

 というのも介護をしていると、

謎の後ろめたさをよく感じてしまうんですよ。

おばあちゃんや姉が具合が悪くなると

自分の管理不行き届きかな、とか。

異変を見逃してたかな、とか・・・

薬を飲ませ忘れたりすると

そのせいかな、とか。

 

 それとか、

例えば、もし私が留守の間に、おばあちゃんの体に急に異変が生じたとしてーーー

それがおばあちゃんのためにおばあちゃんの薬を取りに

病院に行っている間なら後ろめたくない。

家族の食料を買いにスーパーに行ってる間でも後ろめたくない。

 でも、自分の趣味の声楽のレッスンに行ってる間なら

後ろめたさを感じてしまいそう。

 

 だから、介護を優先してここ一年は

歌のレッスンを休むことも度々ありました。

休まなくてもいい時でも。

 

 いや、コロナも悪いんですよ!

おばあちゃんも姉も通院がなくなって、

家族(私)が、朝夕血圧や体重や酸素濃度や

むくみをチェックして、むくみが出ると利尿剤で調整したりして管理していて

病院は月1で電話してきて

「変わりないですか」って聞くだけ。

家族におまかせで、

定期的な検査がないと、やっぱり不安です。

 

 昨年おばあちゃんが要介護3になって、

コロナがあって、私は知らず知らず

責任をしょいこみすぎてたかも・・・・

謎の後ろめたさも………

 

 おばあちゃんは死ぬときは死ぬし、

長生きするなら105歳まで生きそう(💦)

死は神様が司るものであって、

人間の領域ではない。

私の知るところではない。

 

できることを、まがりなりにも

やっていれば、

声楽のレッスン中に異変が起こってもいいし、好きな事は休まずに続けよう

もっと、歌の練習も頑張ろう✨

オペラのアリアもドイツリートも頑張ろう

後ろめたくないぞう〜

 

もちろん、昌磨活動も頑張る!

 

そんな事を思った木曜日でした。

 

 

昌磨おぼっちゃまも、春から新生活?
がんばれ〜💕
 
スパムにぎり美味しそう😃