おわかれのうた。
2011.6/29奈良にいる親戚から
祖母の容態がよくなく、明日が山場となるだろうと
連絡があった。
母はすぐ向かい、私達は家族で連絡を取り合った。
今すぐにでも向かいたいけど、子供達がいるので
1人では行けないし人手が必要。
妹達と父は翌日の朝早くに行く事にし、
私はパパの仕事が終わるのを待って、金曜の夜中に
車で出発に決定。
金曜日の5時頃、ふと目覚めて気になって携帯を見る。
妹から着信があって嫌な予感。
「4時過ぎに息を引き取った」と。
みんな間に合わなかったけど母と親戚で看取ってくれた。
パパは一睡もせずの6時間半~7時間のドライブ。
子供達は4時半頃立ち寄ったSAでおめざめ。
6時半頃斎場に到着。
父と妹達はここで祖母とのお別れの時間を
過ごしていた。
納棺の時にはしいなもお花を手向ける事が出来た。
バイバイもしてたよ。
家族親族だけのちいさなお葬式。
和やかなムードだったのは身内だけだったからかな。
関西人だらけだったからかな。
パパもびっくりしてたけど。
私は奈良で生まれて、祖母と両親と3年間一緒に暮らした。
日中働いていた母の代わりに私の面倒を見てくれた祖母。
子供を持った今、その大変さが身にしみる。
おばあちゃん子だった私。
毎年夏休みに奈良のおばあちゃんちに行くのが楽しみだった。
約1ヵ月、奈良で過ごしてた。
おばあちゃんちの玄関のドアをガラガラっと開けて
「ただいまぁ~」と関西弁で言うとおばあちゃんが
「お帰り~」と言って迎えてくれてみんなおばあちゃんの胸に飛び込んだ。
優しくて面白くっておだやかなおばあちゃん。
手先が器用で編み物も縫い物も木彫りも絵も上手で、
詩吟や民謡や三味線や、とにかくなんでも出来るスーパーおばあちゃん
だった。
沢山お話もしてくれて、それこそ戦争時代の話や
おいたち、旦那様との出会いやためになる話。。。。
おばあちゃんの教えはいっぱいだ。
毎回、おばあちゃんちから帰る時は新幹線で号泣だったな。
母が結婚する前に夫である祖父を亡くし、私達が父の転勤で
こちらに来てからはずっと1人で気ままに暮らしていた祖母。
そんなおばあちゃんが1年間だけこちらで暮らした時がある。
私はその間に結婚した。
少しの間だけど一緒に暮らし、私の働く店にカットやパーマをかけに来てくれ、
結婚式に出席してもらう事が出来た。
( 。。。1年だけだったのは元気になった祖母がやっぱり奈良が良い、
と戻って行ってしまったのだ。 )
そしてしいなやおうしろう。。。ひ孫を見せる事が出来た。
自己満足かもしれないけど、それがとても嬉しい。
倒れてから7,8ヵ月の入院生活。
もっと長生きしてほしかったけど、病院に行くと
私達の顔を見るなり泣いてしまうおばあちゃん、
「帰りたいから外ばかり見てる」とか弱気な言葉を言うおばあちゃん、
きっとやっと大好きなおじいちゃんに会えるからほっとしてるんだろうな、
そんな気持ちだ。
おばあちゃんのいないおばあちゃんの家には彼女の作品が
たくさんある。
おばあちゃんが丁寧に暮らしていた痕。
それらに囲まれているから、おばあちゃんの家にいると
いなくなった、という気がしなかった。
今までだってそうだったように、遠い空の下、
いつでもあの笑顔に会える様な気がする。
最後にかけた言葉「おばあちゃんありがとう」。
おばあちゃんには感謝しかないよ。
「ありがとう。」
私、おばあちゃんに言われたようにこの子達を
「しっかり大きくする」からね。
見ていてね。
もう一度、「おばあちゃんありがとう。」
2011.6.30 享年89歳 治津おばあちゃん
2011.7.5 あなたを大好きな孫
祖母の容態がよくなく、明日が山場となるだろうと
連絡があった。
母はすぐ向かい、私達は家族で連絡を取り合った。
今すぐにでも向かいたいけど、子供達がいるので
1人では行けないし人手が必要。
妹達と父は翌日の朝早くに行く事にし、
私はパパの仕事が終わるのを待って、金曜の夜中に
車で出発に決定。
金曜日の5時頃、ふと目覚めて気になって携帯を見る。
妹から着信があって嫌な予感。
「4時過ぎに息を引き取った」と。
みんな間に合わなかったけど母と親戚で看取ってくれた。
パパは一睡もせずの6時間半~7時間のドライブ。
子供達は4時半頃立ち寄ったSAでおめざめ。
6時半頃斎場に到着。
父と妹達はここで祖母とのお別れの時間を
過ごしていた。
納棺の時にはしいなもお花を手向ける事が出来た。
バイバイもしてたよ。
家族親族だけのちいさなお葬式。
和やかなムードだったのは身内だけだったからかな。
関西人だらけだったからかな。
パパもびっくりしてたけど。
私は奈良で生まれて、祖母と両親と3年間一緒に暮らした。
日中働いていた母の代わりに私の面倒を見てくれた祖母。
子供を持った今、その大変さが身にしみる。
おばあちゃん子だった私。
毎年夏休みに奈良のおばあちゃんちに行くのが楽しみだった。
約1ヵ月、奈良で過ごしてた。
おばあちゃんちの玄関のドアをガラガラっと開けて
「ただいまぁ~」と関西弁で言うとおばあちゃんが
「お帰り~」と言って迎えてくれてみんなおばあちゃんの胸に飛び込んだ。
優しくて面白くっておだやかなおばあちゃん。
手先が器用で編み物も縫い物も木彫りも絵も上手で、
詩吟や民謡や三味線や、とにかくなんでも出来るスーパーおばあちゃん
だった。
沢山お話もしてくれて、それこそ戦争時代の話や
おいたち、旦那様との出会いやためになる話。。。。
おばあちゃんの教えはいっぱいだ。
毎回、おばあちゃんちから帰る時は新幹線で号泣だったな。
母が結婚する前に夫である祖父を亡くし、私達が父の転勤で
こちらに来てからはずっと1人で気ままに暮らしていた祖母。
そんなおばあちゃんが1年間だけこちらで暮らした時がある。
私はその間に結婚した。
少しの間だけど一緒に暮らし、私の働く店にカットやパーマをかけに来てくれ、
結婚式に出席してもらう事が出来た。
( 。。。1年だけだったのは元気になった祖母がやっぱり奈良が良い、
と戻って行ってしまったのだ。 )
そしてしいなやおうしろう。。。ひ孫を見せる事が出来た。
自己満足かもしれないけど、それがとても嬉しい。
倒れてから7,8ヵ月の入院生活。
もっと長生きしてほしかったけど、病院に行くと
私達の顔を見るなり泣いてしまうおばあちゃん、
「帰りたいから外ばかり見てる」とか弱気な言葉を言うおばあちゃん、
きっとやっと大好きなおじいちゃんに会えるからほっとしてるんだろうな、
そんな気持ちだ。
おばあちゃんのいないおばあちゃんの家には彼女の作品が
たくさんある。
おばあちゃんが丁寧に暮らしていた痕。
それらに囲まれているから、おばあちゃんの家にいると
いなくなった、という気がしなかった。
今までだってそうだったように、遠い空の下、
いつでもあの笑顔に会える様な気がする。
最後にかけた言葉「おばあちゃんありがとう」。
おばあちゃんには感謝しかないよ。
「ありがとう。」
私、おばあちゃんに言われたようにこの子達を
「しっかり大きくする」からね。
見ていてね。
もう一度、「おばあちゃんありがとう。」
2011.6.30 享年89歳 治津おばあちゃん
2011.7.5 あなたを大好きな孫








