実家にやってきた。まずなにより、すきなタイミングで入浴でき、暖房の効いた部屋で文章が書けるのがともかくありがたい。

 自宅だが、暖房が四六時中効いた環境で日本語を書けるとのわけではないので、かなりの制約がある。こうした事情もあり、今冬、体調を崩してしまった。

 昨日、泉ヶ丘にやってきたとき、今月の6日に誕生日を迎えるとある女性のためにそこのケーニヒスクローネでカップケーキを買った。いつもお世話になっている店舗である。

 その女性のイニシャルはH、なので、Hさん、と呼ばせていただく。Hさんは生きていたら今年で25歳だった。彼女を2022年に喪ってから早いもので4年の月日が流れた。4年が経ったいまもなお、Hさんを忘れた日は片時もない。

 Hさんは理統の文章をよりどころとし、理統を誰よりも慕ってくれた女性だった。彼女の死後、アメブロで彼女の追悼ブログを開設し、彼女へのおもいを日々書きつづった。

 理統が日本語を書き続けるのは、Hさんが生前に愛してくれた日本語を途切れさせないため、というのも背景の1つにある。

 当時の理統は論理化がとにかく下手であり、感情で相手と対話してしまうくせがあった。いまの理統ならば、Hさんともっと冷静に、論理的に対話できたかもしれない。

 Hさんの情動を論理で諌められたかもしれない。

 Hさんの死後、彼女にたいして生前になにもしなかったひとびとが後出しみたいになぐさめのことばを理統にかけた。なら、ことばでなく、彼女が生きていたあいだに行動で示せよ、と、激しい苛立ちを覚えてしまった。

 悔しかったのだ、とにかく。

 あらためて。

 Hさんの誕生日を前倒しして買ったカップケーキ。





 とてもおいしかった。ケーニヒスクローネの商品はそのどれもがほんとうにおいしいので、食べていて飽きない。

 ただ、今年はこうした、かるいカップケーキで済ませてしまって、ほんとうにごめんね、との罪悪感がやはりないわけではなかった。

 来年はきちんとしたショートケーキだったり、チーズケーキだったりを食べよう、と気を改めた。

 実家で使う入浴剤。



 これを使ってベッドにイン、したら、そのまま眠ってしまいそうな気配さえある。

 それはさておき、今回はHさんについてを主に記した。

 これを書くなかで、Hさんが何年経ってもやはりわすれらない女性なのをあらためて実感した。

 そのおもいでを胸に秘めつつ、これからもしっかりと生きてゆく。