お久しぶりです。鴎です。
これまで当ブログでは、大学院で理転を決意したところから合格後の院生生活までをお伝えしてきました。
その院生生活も先日修論発表を終え、無事修了したので最後の更新をしに来た次第です。
先に言っておくとD進はしません。
概要は下記の通りです。
①中間発表
②2度目の学会
③修論提出
④修論発表
⑤今後
①中間発表
前回の最後に触れた通り、後期の開幕は修論の中間発表からでした。研究科によっては予備審査と呼ばれるものがこれに相当するかと思います。ただ、他の学生の話を聞いていると予備審査がむしろメイン、というくらい重要な専攻が多かったように感じます。時期も予備審査と本審査の間がそれほどなく、12月あたりが多かったです。私の所属する研究科の中間発表はそれほど厳しいものではなく、本発表がメインだったので、早い時期に行われました。
「中間発表では簡単なモデルでの定式化を終え、ケーススタディを一つ行えてれば大丈夫だ」といったように教授からクリアのボーダーを明示されていたので、8月から準備を進めていきました。
定式化とケーススタディは、既往研究を読み、企業からヒアリングと教授からの助言をもらいながら進めました。
お盆は適度に休みながらも、8月、9月は常に研究に追われていました。M2になって授業を取り終えると、普段ミーティング以外で束縛されることがないので、授業期間と休暇期間の境界が曖昧になっていました。
この「常に研究が頭をよぎる」という状態は、多くの人にとってはストレスです。企業で働いている友人に聞くと、多くの企業は休みは休み、仕事は仕事、という線引きがはっきりしているように思います。これに対し研究は、休日でも進めることができる、あるいは進捗によっては休日でも進めなければならない、という状況に陥ることが多いため、あまり休まった気分にはならないのです。私もこの点については2月の発表が終わるまで苦しみました。
お勧めの対策としては、割り切って研究をしない日を作ることでしょうか。境界が曖昧になりがちだからこそ、今日はやらない!という強い意志を持って休む、遊ぶということが必要なように思います。
さて、中間発表の結果ですが、ケーススタディで出した結果が芳しくないものだったため、他研究室の教員陣から手法の面で多くのご指摘をいただきました(中間発表は近隣の研究室数室と合同で行われました)。今の手法ではうまく考えられていない部分が多く、正確な結果が出ていないだろう、実際はもっとこうなるだろう、この点は考慮できないのか、といったようなコメントでした。中間発表なので、添削の意味合いが強い発表会でした。
②2度目の学会発表
8月に定式化を進めていた頃、修論の途中経過を学会で発表しようという話が挙がりました。私は前回の学会発表が入門者向けの学際的な学会だったことをふまえて、今度は今の専門分野によりフォーカスした学会に出たいという風に考えていました。その結果、12月の学会での発表が決まりました。
そういえば学会についてあまり触れていませんでしたが、学会というのは大雑把なイメージでいえば、よく講堂で行われる有名人の講演のようなものを、学園祭のような規模で行なっているものです。大きな学会だと大学の棟を複数貸し切り、各教室で様々な研究者の研究成果が同時並行的に発表されます。聴講者は、自分の見にいきたい発表に合わせて教室を移動し、好きに発表を聞く、という感じです。
通常、学会発表では、発表の数ヶ月前に論文を先に投稿しなければなりません。
今回の私の場合は、中間発表の1週間後に論文投稿締切だったため、中間発表のスライド作成と同時に同じ内容の論文を書き上げる、という並行作業をしていました。このようなことは、学生の研究現場ではよくあることです。
中間発表に沿って研究を進めた分、論文投稿は問題なく進みました。
本番の発表も、緊張こそしたものの、人前で話すのは準備さえしておけばそれほど不得意ではなかったので乗り切りました。発表では質疑応答の時間が最も大変なところなのですが、私のセッションは質疑応答がらたったの3分しかなかったため、2人からコメントをもらった程度でした。少し拍子抜けでしたね。
③修論提出
1月末が提出期限だったため、中間発表以降は追加な定式化と分析に追われました。この時非常に大事だと思ったのは、提出までにやふことを大雑把にスケジューリングすることです。だいたいいつまでにこの工程を終えて、それが終わったら論文を執筆して…といった具合に、自分で管理していく必要があります(私の研究室では大枠は教授から提示されましたが、細かい工程は自己責任でした)。
工程よりも遅ければ追いつくように必死こいてやり、早ければスパッと休むようにしていました。
結局、10月~年内は定式化と分析を何度も繰り返していました。最初は定式化→分析というイメージだったのですが、実際は定式化⇄分析という風に行ったり来たりでした。定式化したものが仮説に沿って結果を出せているか、分析をして確認し、問題点があれば修正して、それを再分析…といった感じです。うまくいかないときのイライラは凄かったです。また、理論を提案するタイプの論文なので、理論の前提となる仮定を置く必要があったのですが、実際の現象とやや乖離するよいな仮定も置かざるを得ない状況がありました。この点に最初は「現実にはこんな仮定では厳密さが失われるのではないか?」と感じもどかしかったですが、のちに手法を提案するタイプの研究では本質的に重要なのは仮定の厳密化ではないということが徐々にわかってきたので、今となっては間違ってなかったかなと思っています。しかしその当時は世の中の現象を数式に表す際の現実と研究のギャップに悩みました。
このように試行錯誤を繰り返し、中間発表での内容をブラッシュアップしていきました。具体的にいうと、私の研究は前の記事のお伝えしたとおり「道路施設の故障による損失の導出」だったのですが、中間発表ではある一つの施設を対象としたものでした。それを修論完成の段階では、エリア単位で複数の施設の損失の合計を導出するとともに、損失を最小化するための施設の取替サイクルの提案まで行いました。損失分析ということで、一見すると経済学っぽいのですが、あくまでもメインは土木計画学であり、損失の導出時に交通流理論や確率モデルを使用しました(この点が一番難しかったです)。
年末年始返上で定式化と分析を終えると、年明けの1ヶ月はひたすら論文の執筆でした。今までの学会発表に向けた論文投稿よりも格段にボリュームの多い内容となったため、きつかったです。私は分析は好きだけれども執筆はあまり好きでなかったようで、この1ヶ月が一番精神的にやられました。書いても書いても教員陣から真っ赤に添削して返却され、書きすすめるうちに分析時には気づかなかった研究の粗に気づかされ、自己肯定感が下がりました。しかし、この執筆という作業は自分の研究への理解を整理する上で非常に重要だったと今では感じています。
そんなこんなで心身ともにボコボコにされた執筆期間でしたし、後半は寝不足続きでしたが、月末にはなんとか修論を提出することができました。
④修論発表
論文提出の1週間後に発表会があったため、そのままプレゼン資料の作成に取り掛かりました。
私はこの2年間を通じて自分が特に成長したなと言えるところの一つに、プレゼン資料のクオリティが挙げられます。…というのは大袈裟で、もともとかなり低レベルだったものを、標準レベルまで上げた、というのが正しいですが。
学部時代は卒論こそ書いたものの、発表会がありませんでした。授業でもプレゼンするものが少なく、人前で成果物を発表するという行為の経験が絶望的に足りていませんでした。M1前期の頃の研究室ミーティングの資料を見返すと、恐ろしくつくりが下手くそで、悲しくなってきます。話を聞くに、文系だと私の周りも結構発表がないところが多い(法学部に至っては卒論自体ない)ことが多く、勿体無いなと感じました。大学院で経験した「成果物を発表する」という行為は、自分の考えを的確に整理し、人にわかりやすく伝えるという、社会で生きていく上で欠かせない能力を向上させてくれます。もっと大学教育の中で力を入れるべきところだと思います。
この2年間発表して分かったことですが、論文とプレゼンは、内容こそ同じであるものの、伝え方が全く別物だということです。論文は論理を厳密に。プレゼンは初めて聞いた人にいかにわかりやすく伝えるか。一見当たり前のことですが、できていない人は多いですし、私もこの最後のプレゼンまでほとんどできていなかったです。作業が面倒だと論文の中身をそのままスライドにしようとしてしまいがちですが、そうすると大抵は教授からダメ出しを食らいますからね。
私は研究発表はこれで最後だけれども、発表スキルは企業に入ってからも役立つだろうということで、今回はかなり気合を入れて準備しました。プレゼン賞なるものもあるらしいかったので。
本番の発表では、聴衆を引きつけるような発表運びがしっかりできたと思います。質疑応答はあまり良くなかったですが…。飛んできた質疑が私の研究の弱点を的確に突くようなものが多く、今後の課題、と答えるしかありませんでした。とはいえ、ポジティブに捉えれば、研究の弱点を一発で見抜けるくらいには発表の内容を正確に理解してもらえたのではないかと思います。
この1週間も本気で取り組んだ分睡眠時間を削ることにはなりましたが、体を壊すことなく乗り切ることができました。残念ながら賞を取ることはできませんでしたが、全力でやり切れた点には満足しています。
⑤今後
さて、修論を終えた私は成績も確定し、無事に修了できることになりました。これで晴れて文系学士から理系修士!大学院に合格するところまででなく、修士号を取るところまでやり切りました。
ただ、研究に関してこれ以上新しくやるということはないのですが、修論の内容で外部投稿をしないかという話が来ています。そのため、今の研究にはもう少し関わることになりそうです。
というわけで、まだ完全に終わりではないのです。しかし、私の中ではもう一区切りついてしまった感じですし、理転院進して修士号を取った!ということをお伝えするところまでがこのブログの役目かと思います。もし賞を取った!などあれば追伸しようかとは思いますが、基本的には本ブログはここで終わりです。
今まで数々の自分の体験を、忘備録のような形で好き勝手にお伝えしましたが、ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございました。
振り返ってみても、私はこの挑戦は心の底からやって良かったと思っていますし、院生生活を終えた今、達成感に満ち溢れています。
理転院進に限らずですが、難しいと思われることに挑戦しようとしているみなさんには、自分のやりたいことに言い訳せず、挑戦してみて欲しいです。結果がどうであれ、終わった頃にはきっと晴れやかな気分になっていると思います。
私も4月からはただの社会人ですが、これまでの経験を糧に、これからもどんどん新たなことに挑戦していきます。
それでは、このブログにたどり着いた悩める方々の未来が良きものとなることを祈って、筆を置くことにします。