連休の初日の朝、ある認識が浮かんだ。

 

私がもし、死を迎えるその時が来たら、

どういう風に死がやってくるのだろうとわくわくしてしまうだろうということ。

 

初めて前十字靭帯の再建手術で手術というものを体験したとき、

どんなふうに手術が進むのだろうとわくわくしていたが、

全身麻酔のため、当然のことながら寝落ちしてしまい残念に思ったことがある。

虫垂炎の手術を受けたときもそうだった。

 

どうやら、手術も死も同じで、違いはない、

ということらしい。

 

昨日見た「ルーシー」で最終的にルーシーという一個の人格と思っていたものが、

覚醒していくうちに、全てが「私」でしかなかった。

死もまた同じ。

 

死を「悲しいもの」「残念なもの」「恐ろしいもの」

という意味づけをしがちだけれど、

そうではないよ、と聖霊は伝えたいらしい。

 

必ず肉体は死を迎えるけれど、

それをやさしく、私の場合はワクワクしてしまいそうだが

味わえばいいのだろう。

 

ただ、雨飾山のフトンビシという岩稜帯での無雪期の登攀は

今思い出しても恐ろしくて、

あんなボロくてぐずぐずのヤバい岩は二度と登りたくない、

死んでしまう!!と思ったものだけど、

あの時の死の恐怖と、ワクワクして楽しみに感じる死、

今の私はそのどちらも握っていて、鬩ぎ合っているところだ。

 

あの当時、参考にした雨飾山フトンビシ右岩峰中央稜の山行記録

(まだサイトが残ってたんだねー、なつかしー)