あれから一ヶ月が過ぎていた。
佐久間里奈が学校に来た。
私は喜ばなければいけないのに、驚くことしかできなかった。
突然職員室に現れた佐久間は、私の席まで来てしばらく俯いていた。何も喋らない。
「…おはよう」
「…おはよう、ございます…」
いろいろすみませんでした、と言いながら頭を深く下げた。
佐久間は感情が読めなくて、わかりづらいところがある。美しい顔が、あまり変わらない。笑顔はほとんど見たことがなかった。どう喋ればいいのかわからない事もある。いま、この子はびっくりするくらい不器用なのだということに気付かされた。だからこそ、あのようなことをしてしまったのだろう。
「先生は佐久間さんがきてくれてすごく嬉しい。でも、来てくれた理由とか、何か特別な何かが、あったのかな…もし良ければ、来てくれた理由が知りたいな」
佐久間は、ゆっくりと話し始めた。
ある日を境に、クラスメイト全員から無視されるようになった。仲の良かった篠田サオリからも。なんとなく雰囲気で、杉本優子が中心だということは感じていた。でもそれを本人に追及したところで、良い方向に変わるとは思えなかった。ただただ、耐えた。半年間。ある日自分の部屋で、衝動的に手首にカッターの刃を強く当てた。気が遠くなり、気づくと病院にいた。退院をした後は、家で何もしない日が続いていた。
ある日、家に杉本優子が現れた。後で聞くと、同じ中学のクラスメイトから住所を聞き出して来たとのことだった。
その日は土曜で、妹も母もいなかった。
古い団地なので、インターホンで会話が出来ない。ドア越しに名前を聞き、開けるのを躊躇った。だがなんとなく開けなければという気持ちになった。
静かにドアを開けると
「ごめんなさい!」
驚くくらい大きな声で謝る、杉本優子がいた。頭は深く下げられていた。
その時に、杉本の彼氏が浮気をしていたことと、その相手の女が佐久間に似ていたことから勘違いで佐久間に辛くあたるようになったという。クラスメイトにも、さんざん佐久間のことを悪く言いふらしていたという。
だがそれは全て杉本の勘違いだということに気づき、杉本は突然恥ずかしくなったという。言いふらした手前、それを訂正するでもなく、過ごしていた。その間もいじめは続いていた。
ちゃんとに謝りたかったと、泣きながらごめんなさいを繰り返されたという。佐久間が自殺未遂をしたと聞いた時も、無事だったと聞いた時も、杉本はずっと心が押しつぶされそうになりながら過ごしていたと言う。
「何でもするから」
そう言う杉本に、佐久間は
「これから、仲良くして」
とだけ伝えたらしい。その時、佐久間が輝く笑顔を見せてくれた。
私は嬉しかった。私のクラスの生徒たちは、皆子供で、そして素直な良い子たちだ。もちろん、亡くなった小川も。
小川には、生きていてほしかったけど…
これは私の勝手な想像。
杉本はきっと、小川が突然亡くなりショックを受けた。
人はいつどうなるか、明日も元気でいられるかなんて保証は無い。それならせめて生きている間は、誇れる自分で居たいと、そう思った。
もちろん、他の生徒達も。
何よりも、私がそう思った。
あれから、クラスの雰囲気が良くなった気がする。
皆の顔に凛々しさが加わり、優しさが加わった。
あれから8年が過ぎた。
当時のクラスの代表者である阿部と私で、小川の家に線香をあげに行くことになった。
今までにも、生徒同士で時々行っているらしい。
今日のことも、話を聞きつけて行きたいと言う生徒は何人もいた。だがあまり多いと小川の家に迷惑がかかるだろうと、私と阿部だけになったのだった。
小川の母親は笑顔で応対をしてくれて感謝もしてくれた。だが時折見せる翳りが、悲しみの深さを表していた。
自分の子供を亡くす悲しさを、私は知らない。
だけど、その悲しさは決して無くなることはないということだけはよくわかる。いつまでも母親の心に居座り続けるのだろう。いや、いつもどんな時も母親は想いたいのだろう。母親だから。忘れられるわけがない。日々それは自分の心の中だけに隠して持っている。大事に、大事に。
阿部は帰り道、こんなことを話し始めた。
「おれ大学卒業して働いてるけど、今度、辞めることになりました!」
私は驚いて問いかけるような顔で阿部の顔を見た。
「おれずっと、歌…ミュージカルに興味があったんです。やっとのおもいで理学療法士にはなれたけど、働いてるうちに…気持ちがどんどん膨らんでって。あ、もちろん逃げとかで言ってるわけじゃないです。このままずっと働いてって、本当の気持ち隠して生きていくのってどうなのかなって思っちゃって…あ、なんかおれ、何言ってるんですかね?」
はは、と誤魔化しながら駅への道をゆっくり歩いていく。10月の風が心地良い。夕焼けが美しいなと感じた。
「まー、小川のこともあります。あいつは…あいつの人生は途切れてしまいました。まだまだやりたかったこともあったと思うんです。おれ、一週間に一回は小川に問いかけてますよ。元気か?て。わけわかんないですよね。この前夢にまであいつが出て来たから、おれミュージカルやりたいんだけどどう思う?て聞いたんですよ。そしたらあいつ、なんて言ったと思います?…ふうん。ふうんですよ、ふうん。ありえないでしょ!夢に出て来といてそれかよ!?てなりました」
阿部は楽しそうだ。
「ふうん、だね」
わたしも笑いながらふざけてみせると、阿部はちょっと怒った顔で笑ったあと、一つ大きくため息をつきこう言った。
「でもなんも言えないっすよ。あいつが何をしたかったかとかなんも知らないし。おれは自分のことで手一杯だし。時々あいつに心の中で問いかけながら…まー、一方的ではありますけど…やりたいことをするべきかなって」
「がんばんな」
私がそう言うと、阿部はハイ、と強く頷いた。
鎌田が、教師になった。
なった時も、教育実習に行ってる時も、いつも落ち込んでいた。しょっちゅう私に電話をかけてきて相談に乗っていた。
今は良い相談相手になりつつある。ちょっとまだ甘い考えが残ってるけど、だいぶ男らしくなってきた。
彼はきっと、良い先生になると思う。そう信じてる。
そんなことを言うわたしも、教師としてはまだまだ新米だ。戸惑うことはたくさんあるし、落ち込み、泣くこともある。
下に下がって、ちょっとした生徒の言葉に助けられて上がって。また下がって。コンビニのお姉さんの笑顔に救われて。
そんなことができるのも、命があるから。
こんな風に気持ちを引き締められるようになったのは、小川のおかげかもしれない。
あのクラスは、色んなことがあった。
生徒の死は、私の心に大きな影響を与えた。同時に、色んなことを教えてくれた。私だけじゃない。たくさんの人を救った。
里奈は、タレント活動をしている。最近はドラマにも出始めた。売れっ子たちに紛れて演じている凛々しい顔がカッコいいなと思う。そんな里奈が、時々私に電話をしてきてくれるから、なんだか誇らしい。芸能界のことはわからないから、聞いて慰めるくらいしか出来ないけど。
小川、ありがとう。私、ずっと忘れないからね。
今日も頑張るよ。
でも、しんどい時は、思いっきりハードルを下げる。
生きていこう。
それでいい。
小川の分も、て言うと厚かましいけど
ゆっくりと、大事なこの命と向き合っていく。
ゆっくり
ゆっくりと
生きていこう。
