新約聖書:ヨハネによる福音書:17: 20節から26

 

わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。

父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。

わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。

わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。

父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。

正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、あなたがわたしをおつかわしになったことを知っています。

そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」。

 

イエス様は、教会にいる人たちが一つになることを願っておられます。

一つになるとはどのようなことでしょうか。

イエス様は「あなた(父なる神)がわたしのうちにおられ、わたしがあなた(父なる神)のうちにいるように」とおっしゃっていますが、それがどういうことなのかをこんなふうに言った人がいます。

ある鍛冶屋(かじや)の話です。その鍛冶屋は無神論者でしたが、救われてクリスチャンになりました。そして、知人からクリスチャンになってどう変わったかと尋ねられたそうです。それで

「イエス様がわたしのうちにおられ、わたしがイエス様のうちにいるようになった。」

と答えたそうですが、

 「そんなおかしなことがあるか。」

と言われました。どう説明すればいいか考えていると、聖霊様が教えてくださいました。

 火の中にあった鉄片を取り出し、

「この鉄片は火の中にあったが、今は鉄片の中に火がある。信じられないなら、触ってみて。」

と言ったということです。

また、一つになるということについて、結婚のことも考えてみましょう。

創世記では、世界で初めての結婚(アダムとイブの結婚)について「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」と書いてあります。

これは、「夫婦は別の人格や体ではあるけれど、思いや心が一つとならなければならない。」ということを言っているのです。思いや心を一つにしていって、成熟した夫婦になっていくというのです。神様はそのように願って、人間に結婚の祝福を与えられましたが、そのようでない人々がたくさんいることを見て、残念に思っておられるでしょう。

「一つになる」というのが、どういうことか、なんとなくわかっていただけたかなと思います。

 

 教会の人々が一つになるとどんないいいことがあるのでしょうか。

 まず、神様が一つになることを望んでおられるので、そうすることで、神様に喜んでいただくことができます。

 そして、自分たちもそれぞれが持ち味を生かしてみんなのために働き、一人が喜べばみんなで喜び、一人が悲しめばみんなで悲しむ、そういう共同体の中で、愛のぬくもりを感じ、心豊かに過ごすことができます。

 また、このように、互いが愛し合い、助け合っている姿を見て、まだ、神様を知らない人たちに、神様を示すことができるのです。

 その例として、ある僧侶の奥さんの話をされました。

 その方は、僧侶の奥さんでありましたが、ある時、教会に行ってみました。説教の内容はあまりよくわかりませんでしたが、そこの教会に自分のお寺にない独特の温かな雰囲気を感じ、それに惹かれた教会に通うようになりました。始めは怒っていた夫(僧侶)もやがてクリスチャンになり、夫婦でお寺を追い出されました。そして、町のはずれの小さな小屋のような家に住むようになりましたが、

「人生の中で今が一番幸せ」

と言って、過ごし、やがて生涯を閉じられました。

 

 今日の礼拝のメッセージから、心に残ったところを私なりに捕捉し、できるだけわかりやすく書いてみました。

 

 今日は、午後から教会の総会がありました。総会では、今年一年の計画や予算などについて話し合いました。教会は、牧師一人のものではなく、神様のもので、その運営を教会員ひとりひとりが任されています。

 献金についても、少しも違うことなく会計報告がされ、役所からも「キリスト教さんはいつもしっかり(会計報告が)できているから」と信頼されているということを前任牧師から聞きました。

 信仰とは直接関係ないのですが、そういうガラス張りの運営になっているところも、キリスト教を好きだと思う理由です。