週末の恒例。

車で20分ほどの農産物直売所に両親を連れて行く。

母と私が買い物をしている間、父は隣接のゴルフ練習場に行く。

年明けに88歳になる父。
ドライバーを振り下ろすのはやや困難になってきた。

帰りの車中で水分補給を促すと
「歯が痛くて飲めない」
え、そうなの。
すぐに歯科に電話。
事情を理解してくれている歯科医がすぐに対応してくれる、という。

徒歩15分ほどの歯科まで
「歩いていけそう?」
と聞くと、行ける、というので、連れ立って歩く。
軽度の認知症と診断されている父は、この時点で、歯痛のことはすっかり忘れている。

幼い頃、父に連れられて数えきれないほど歩いた線路沿いの狭い道。
無口な父だが、息子の話などぼちぼちしながら歩く。
いまは、車が来るたびに声をかけたり、体を道路脇に寄せたりするのは、私の役目。

15歳まで父が大好きだった。
いまだったら、完全にアウト、虐待とされていただろう母との確執のなかで、いつか父が助けてくれる、そう思っていた。
15歳のある冬の夜まで。

その夜、私は父に絶望したのだが、嫌いになることも切り捨てることもできずにここまできた。

そして、ようやく両親を受け入れることができたような気がする。

父も母も、親という生き物ではなくて、ただの人であり、間違いもおかすし、好き嫌いもある。
感情的になることがあって当たり前だし、いつも迷っていた、と知った。
たぶん、すべてが正しかったとも思っていないのだろう。

色々あって、私はたぶん最後まで両親から離れることができないだろう。
間近で老いていく姿を晒すことで、何かを教えてくれるだろう。

父の歳まで30年あまり。
遅すぎることなんて何もない。
たとえ、明日死ぬとしても、だ。