義母の物忘れ外来。

受診前にひとしきり探し物をする。
これにも慣れたので、その分は見越して早めに行動する。
前回、お薬ポケットに薬を入れに行ったときには、財布の中に18万円、どこからか湧いてきていた。出処はわからないのだ。増えてるからまあいいか、とも思うけど。
財布ごと失くされても、お金があまっているわけでもないので、13万円は預かることにする。
お金の管理がやや怪しくなってきたので、次の手段を少しずつ考えなくては。

実は、もう5年ほど前に、義母は自宅にあった40万円がなくなったと警察を呼んだことがある。
このとき、なにも知らない、知ろうともしない長男─つまり私の戸籍上の夫─は、「泥棒入ったらしいぜ、知ってた?」
なんて呑気に言った。
私は口にしなかったけれど、この時点で「泥棒ではないよね」と思っていた。
そう、たぶんその時点で義母の記憶力は壊れかけていたのだ。たぶん。

薄々わかりながらも、しばらくなんとかなるだろうとタカを括っていたのは、やはり義父の介護があったから。

もちろん、何度か義母を病院連れて行こうとはしたし、長男にもそれを促した。
義母は思ったとおり、「嫁がボケ扱いする」と言いふらしたし、長男は「オレが連れて行くから」と言ったっきり、今なお放置が続く。

まあ、しかし結論からすれば、それから数年経ったけれど、義母はなんとか今でも身の周りのことはなんとか自身で賄っているのだ。

何かを忘れてしまうたびに
「ああ、もう認知症なのよねっ」
と自虐ギャグのつもりで言う。
本当に認知症なのだから、周りからしたらシャレにもならないのだけれど。

この義母の発言こそが認知症に対する負の認識なのではないかと思うのだ。
いまや、65歳以上の7人に1人とも言われる認知症。
「病気」としての位置付けがあまりなく、昔の伝染病や精神疾患のように、「行いが悪いから」とか「環境のせいで」とかどこか本人や家族に責任があるように思われている。
他の病気だったらあんまり思われないのでは?
いまや、アル中でさえ自己責任とだけでは片付けられないことが多い。

歳をとったり、病気をしたりしてできないことが増えるのは仕方がない。
それとうまく折り合いをつけて、なんとか生活を継続させていく。
それがすべてなのではないだろうか。
認知症と診断されたその日から、何かが変わってしまうわけではないし、何かができなくなるわけではない。
徐々にできなくなってきたことは、なんらかの手助けを借りてまかなっていく。それでいいのではないかな。

ただし、長生きなってしまったいま、本当に何もわからなくなるまで命が「保ってしまう」こともあるだろう。
そうなる前に、判断できるうちに、そうなったら、どうしてほしいのか、蓄えはどれほどあって、どんな選択肢があるのか、調べて、決めて残しておかなくてはならないのかな、と思う。
個人的には、その中に、今は選ぶことができない「死期の選択」もできるようになるといいな、と思っている。

ちなみに義母の蓄えは200万円しかない…。