心療内科に行った直後の2日間は、不安感が強く、泣いてばかりでした。
薬を握りしめて何度も考えましたが、運転をしなくてはならないことを始め、色んな事由がからみあって結局飲まないまま明日の再診にのぞむことになりそうです。

昨日の朝、一姫から
居酒屋のアルバイトをやめて、コンビニエンスストアの給料が入るまで1カ月あるので、お小遣いがほしい、と言われました。
洋服を買ってほしい、とも。

いまはあげられない、お父さんと話して。
とだけ答えました。

そして、昨日も帰宅していないカニ男に昼間電話。

一切返却されていない借金のこと、放置してなくしてしまった自転車のこと、家中のやりっぱなしのこと、などを話し、もう私は自分価値観で説得する自信も気力もない、あなたの価値観でいいと思うように判断してもらえばそれでいい、と伝えました。

その後、一姫と電話で話したとカニ男から電話が来ました。

よくないところはちゃんと話した。借りたお金も返すと言っている、今回はお金を渡してほしい。洋服も着るものがないと言っているから買ってやってくれ、との話でした。

帰ってきた一姫は夜中まで、テレビをつけっぱなしで電話をいじりたおし、食べたものはそのまま放置。もちろん何も変わっていません。

やはり、いらいら、もやもやはあります。ただ、ひとつだけ救われたことがありました。

私たち夫婦は結婚したときに、子どもができても名前で呼び合うことを決めていました。

私自身は子どもと過ごす時間が長く、ついつい名前で呼ぶことは少なくなり、世間でもありがちな、ねえ、とかいうような呼びかけになってしまったりしていたのですが、カニ男はずっと守ってくれて、私に「おかあさん」と呼びかけることはいちどもありませんでした。

それが、昨年の離婚・別居話からこっち、私を名前で呼ぶことはありませんでした。唯一、お正月にカニ男の実家に行ったとき、他の人の手前一度だけ口にしたことがありました。それ以外は、「君」とか、「そっち」とか、結婚生活で経験したことのない冷たい呼び方だけでした。

そんな中、昨日の電話で私の名前を呼ぶ場面がありました。
その瞬間、そのときだけかもしれないけど、苦しい私に少し近づいてくれたのか?と感じました。ほんとに些細なことですが。

たぶん、一姫にどんなひどいことをされても、夫の支えがあったら耐えられたのですね。そのことは、決してカニ男のせいでなく、支えてもらえないような対応をしてきた私のせいなのです。だから仕方ないし、カニ男にのぞむことは皆無です。
ただ、昨日は単に名前で呼びかけられたことが嬉しかった   それだけです。

一姫も「おかあさん」とよばなくなってずいぶん時間が経ちます。

人はだれかに呼びかけられるたびに、自分の存在を確かめているのかもなあ、と思いました。

二太郎に「おかあさん」と呼ばれると、ああ、私は二太郎のおかあさんなのだな、と実感できて安心するのです。

そんなことでしか自分の存在を確かめられない私自身に問題があるのかも   とも考えられるわけですが。

だれか、私を呼んで  くれたらな。