一姫との関係のなかで、私はずうっとわかり合うということは「許す」ことなのではないか、と葛藤してきました。
「許すこと」ができない自分がいけないのではないか と。
でも、その考え自体が間違っていたのだと気がつきました。
わかり合うということは、決して許すことではなく「認める」ことなのだと。
許す ということは飽くまで自分が基準であって、許容するよ、という姿勢。
わかり合うということは自分と違う価値観があることを認めることなのではないかと気がつきました。
もちろん、人を殺めてはいけないとか、盗むなかれ、というような倫理的なことは大前提にあります。
しかし、例えて言うなら、肘をついてご飯を食べることは自分はしないけど、絶対だめか、というようなことでしょうか。

親子であるとそのへんの価値観は揃っていてほしいな、という思いはあるのです。
でも、どこまでいっても、親子も兄妹も、夫婦も別の人間なのです。価値観が異なって当たり前なのです。

私はなんて傲慢な人間だったのでしょう。
世界中の、みなさん、ごめんなさい。