「母の日」と言っても母として何もしてもらったり、ものをもらったりすることは
ありませんでした。ばかりか、結局怒鳴りっぱなしの一日でした。
何か欲しいわけでは決してないのですが、母としの評価はなしかい、ひねくれた
考えになってしまいます。
「魂」という考えはあまり信じているわけでもないのですが、
「生まれてきたテーマ」というのはあるような気がします。
10代の終りの頃から20代の前半くらい、母親との関係がうまく築けなかった
私は「人生とは」「生きるとは」「死ぬこととは」 などということについて
本を読み漁った時期がありました。その中で、今でも「好き」ではないけど
印象に残っている本が、シャーリーマクレーンの「アウトオンアリム」という結構
売れた本です。これが一冊目でたしか2,3冊シリーズで出たはずです。
この本のおかげで、シャリーマクレーンは変人扱いされたみたいです。
おもになるほど、と思ったのは輪廻転生のことです。自分がいま関係している人間は
すべてこれまでの「生」で因縁がある、それを解決するためにこの世で親子になったり、
兄弟になったりして試練に遭う、というような話しだったと思います。
これが真実なら、私の人間関係は結構つじつまが合うのです。
また、真実でないとしても救われるところがあるのです。
この本の詳しい内容は忘れてしまったのですが、このことはよく覚えていて、
何度も輪廻転生して、魂が浄化されていく、ということは「それでいいんじゃないの」
とずうっと感じています。そして、娘が成長して、自分のテーマはこれだと確信しました。
娘のすべてをそのまま受け入れることで、母に許されることのなかった自分をはじめて
許すことができるのです。なんか、宗教じみた言い回しですが、どんな因果があったのかはわかりませんが、
たぶん、私の母と私の前世での因果を今世でそうやって私が清算しなくてはならないことになって
いるのでしょう。娘のあるがまま、すべてを肯定したい、それは自分のすべてを受け入れて
欲しい、という願いと同じことなのです。「輪廻転生」ということがまるごと真実と信じているか、
と言われれば、そうではないような気もするのですが、真実でないとしても、こんな風に考えることで、
がんばっていけるような気がするのです。
また、今日も思い「明日こそは」
今日の昼は新作、「ねぎ納豆そうめん、ナムル風」
少し水分が少ないので、唾液の分泌が少なめの二太郎は食べにくそうでした。
夕食は好評、えびとレタスのたまご炒め。
暑かったので、胡瓜のサラダも作りました。