りそな銀行 訴訟 裁判 貸し剥がし

りそな銀行 訴訟 裁判 貸し剥がし

りそな銀行が無理やり融資して、その後に無理やり債権を回収

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皆さんは既にご存知の事ですが、りそな銀行の前身は大正7年5月15日、野村徳七氏が「中小の事業経営者に産業資金を供給する必要である」と考え、同年8月1日に商都 大阪の一角で産声を上げ、昭和2年1月「野村銀行」に改称した銀行です。


戦後財閥解体にともない、昭和23年10月に行名を「大和銀行」改めましたが、大和銀行の呼び名は職員から募ったもので、「聖徳太子の憲法「和を貴ぶ」の精神を汲んだもので、文字の平明なこと、語呂の穏やかなこと、「やまと」とも読めるところが野村の商標にもつながり選定の理由となりました。


その後、信託併営を堅持、昭和37年には適格退職年金の取り扱い、厚生年金基金制度をを積極的に取り組み、また平成5年9月、コスモ証券の発行済株式の過半数を取得してコスモ証券の倒産の危機を救済しました。


平成7年9月には大和銀行ニューヨーク支店で発覚した現地採用嘱託による損失を公表し、アメリカから撤退するとともに事件の反省を踏まえ、内部管理体制を強化し、顧客への信頼回復に全行あげて取り組み、平成8年6月には「経営理念」「行動基準」を策定し、平成10年5月には役職員の「行動指針」をさだめ、透明度の高い銀行、特化型銀行、管理体制が強固な銀行を目指していました。


が、しかし、平成15年3月1日あさひ銀行と合併してりそな銀行となり平成15年5月には、政府による総額1兆9660億円の公的資金注入。

同8月7日にりそなホールディングスと株式交換し、再びりそなホールディングの完全子会社となり、現在に至っています。


尚、りそな銀行についてはウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8A%E3%81%9D%E3%81%AA%E9%8A%80%E8%A1%8C をご参照ください。




さて私達、第一メリヤス株式会社は昭和29年から、りそな銀行の前身である大和銀行と長年にわたり、お取引を続けてきましたが、平成11年3月29日、当時の大和銀行枚方支店の西田 廣支店長から「枚方市 津田駅前 計画 事業提案書」

持ちかけられました。


この事業計画は、大和銀行本店不動産部 都市開発室と 長谷工コーポレーション土地活用営業部の連名で、前記の大和銀行枚方支店から、当社の依頼なしに突然に持ち込まれた計画です。




当時、当社は商工中金や中小公庫など政策金融機関とのお付き合いをメインに業務を遂行していましたので、当時の借入を今以上に増やすことなど考えられることなく、この計画内容、すなわち当社が所有する約3800坪の土地の一部である敷地約700坪を9階立て分譲マンション用地として売却し、あわせて隣接する敷地約470坪に6階立て賃貸マンションを同時に建設して経営する計画でしたが、当社はマンション経営はノウハウも全く無く、他人依存的な経営は出来ないと、真っ向から断りました。


しかし・・・・                                      続く

                                                       

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