昨日、ある番組で大大大ファンだったテレサ・テンさんの
特集をやっていた。
「テレサ・テン物語」と言うドラマ化したものである。
亡くなった当時は色々な噂が流れ、エイズだったの、
薬物中毒だのと酷い物であった。
テレサ・テンは日本へ来る前から、アジアではトップスター
であった。
歌が上手くかわいくて、綺麗という印象がある。
なんて表現していいのか、どの歌にも心に響くものがあり
哀愁があり・・・・今でもすべての曲がわかる。
そして、一つ一つの歌が流行った時の情景を想い起す。
もっともっと永生きしてほしかった。
喘息の発作で最後は亡くなるが、再起に向けて頑張っていた
矢先のことであった。
台湾育ちのテレサ・テン、日本とは国交がないため色々な手続き
を経て入国しなければならず、大変だったと思う。
そのような状況の中、自由に行き来出来るインドネシアの偽造パス
ポートと台湾のパスポートを持ち歩き使い分けていたとの事・・・・・
それが、あるとき間違ってインドネシアのパスポートを出してしまい
不法入国となり日本で捕まってしまった。
台湾政府も国交のない国で台湾の人間が不法入国で捕まったと
なれば神経を尖らせもするでしょう。ましてテレサ・テンの人気は
大変なもので、中国側も民主化の影響がでるのではと危機感
をもっていた。そのため中国政府はテレサのテープ等すべてを
国民から没収したのである。
そのようなことからも中国と台湾との政治関係もあるため、
台湾政府は、テレサ・テンを呼び戻し台湾から出させないようにする
動きもあった。
それを察したテレサはアメリカへ行く事にしたのである。
それでも人気は衰えなかった。
テレサ・テンが変わったのは結婚を反対されたことからだと感じる
相手の男性の伯母様が反対したのである。相手は凄いお金持ち
のよう・・・その伯母様がテレサに歌を辞めるようにと迫ったのである。
女性の歌手と言うだけで、見下しており、民衆に媚を売る卑しい職業
として見ていたのである。
そんな風に人を見る伯母様の考え方が、テレサは許せなかったので
あろう。テレサは彼にある決断を迫った、私も歌手を辞める、だから
あなたも家も財産も捨ててと、そして二人でどこか他の国で生活を
し直そうと・・・・・しかし彼は家を出ることが出来なかった。
それで二人の付き合いは終わってしまったのである。
その後のテレサは、再び歌に没頭した。
これまでのテレサ・テンの生き方は、信念をもっており、また自分自身
をしっかりと持っている女性で、歌手である前に一人の女性でもあった。
自分を信じ、真直ぐな生き方をしてきた女性だったんだと感じたとき
今まで以上に大ファンになった。
その後、中国大陸でのコンサートが開催出来るというところまで漕ぎつ
けたのだが、政権が変わり民主化へとある程度流れていた中国が
危機感をもち、共産主義へとうごきだしたのである。
そのときに天安門で学生による民主化運動がおきたのである。
その民主化の波を絶やさせない為にもと、台湾ではデモ隊の支援を
しようとなり、支援コンサートを開催・・・・そのコンサートにテレサが
出演し、そこで大陸の歌を歌ったのである。
しかし、それから数日後天安門事件が起きたのである。
数十万人という学生達が殺されてしまったのである。
その為テレサは、自分が歌った歌のせいで多くの学生が殺されて
しまったのではと、自分を責め、親や家族からも政治に関すること
には関わるなと言われ、ついには自分の帰るところはないといい
台湾も中国も捨てフランスへと旅立ったのである。
フランスで知り合いになった自称カメラマンの卵と言う男性と
生活するようになるが、男性にとってはテレサは食い物でしか
なかったのである。
でも、それはテレサも十分承知していたのである。
日本のレコード会社の社長はテレサのことを心配しフランス人の
彼と引き離そうと考えていたのかもしれない。
でも・・・・出来なかった。
テレサが日本のレコード会社の社長に言った言葉が忘れられない。
自分の帰る所がない・・・・・どこにも帰るところがないけれど
一つ帰れるところがあってもいいでしょう・・・・・愛を受け入れて
くれる所くらいはと・・・・・・・言ったのである。
どうしょうもない彼ではあったが、テレサにとって、唯一帰れる場所
は彼のとこだった。
そんないじらしい彼女、病気のせいで短い人生を送ったかもしれない
でも、素敵な人生だったのかもしれない。
心の中にこれからも生きつづけるテレサ・テン
安らかに永眠されることを願う・・・・・・