娘が、ママだーいすきおぉ!

 

パパだーいすきおぉ!

 

って言ってくれるんですが

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娘が、私たち二人を見ているように

 

 

 

 



 

私は、お父さん、お母さんのことを

 

素直に、

 

だーいすきおぉ!

 

って言えないな〜。と。

 

 

 

 

 






 

 

恥ずかしい、ダサい、子供みたい。

 

とかいろいろ出てきたのですが

 

 

 

 






 

そもそも、私は父と母の子供なのに

 

事実なのに

 

子供みたい。って

 

思うのなんでかな〜。。。

 

 

 

 

って考えてたら

 

 

 

 

 





 

 

私の意識の中で

 

 

親は強い、大きい、指示する存在。権威的。脅威的。だと。

 

出てきました。

 

 

 






 

 

 

なぜなら、

親は私を産んだ存在。育てた存在。

 

 

 

 





 

 

だから、私の意識の中で

 

親は私を産んだ人。創造した人。育てた人。

 

だから偉い。強い。

 

と勝手に上下関係を作っていました。

 

 

 

 




 

 

 

そしたら、


私は、親から生まれた人。創造されてた人。育てられた人。

 

だから、弱い。下。負ける。

 

 

 

 

 



 

 

親の方が勝っていて、強くて、服従しなきゃいけない関係。

 

だから、子供。である以上負けていて、


弱くて、従わなきゃいけないような立ち位置。

 

 

 

 



だと思っていたから

 

子供でいるのが嫌だったんです。








 

大好き。って言ったら負けそうだから。








 

親の子供って認識したら、

やっぱり私は、弱い存在なんだ。って認識しそうだから。

 

 

 

 

 


 

 

勝手に優劣つけて、勝手に負けて、勝手に負けたくない。ってやってた。

 



 

 

 

 

 

産んだ人が偉い。育てた人が偉い。とか

 

私の思考が、意識が勝手に決めただけでした。

 

 



 

 

 

 

 

そしたら、私も、母も、父も

 

同じ平面の世界にいて

 

同じ生命体。という感覚が湧いてきて

 

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地球という🌏お皿に乗っている、同じ生命体 。





 

 

 

 

 

そしたら、

お父さん。はお父さん。

 

お母さん。はお母さん。

 

私は子供。という感覚に違和感がなくなって

 

 

 

 

 

ただただ感謝でした。

 

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産んで育ててくれたのは

 

お父さんとお母さんだけど

 

だから私よりも強い、とか弱いとか上下関係はなくて






 

本当にただただ

 

お父さん。

 

お母さん。

 

 

という、役を演じてくれている生命体。といった感じでしょうか。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

そしたら、大好き。って言ったら負けるとかそんな感覚はなくなってしまいました。

 

 

 

 

 




 

 

産んだ人が上。育てた人が上。

 

と親に対して思っていたら

 

 

 

 

 

 

 

 

出産してない人、子供育ててない人。は上じゃない。とか

 

男は産んでないから、下。とか

 

我が子は自分より下。だとか

 

産んだ・産んでない・育てた・育ててない。

 

という意識で、





勝手に負けたり、勝ったりしちゃって苦しくなるな〜。と。

 






産んだ自分は素晴らしくて、産んでない自分は素晴らしくない。

 

育てた自分は素晴らしくて、育ててない自分は素晴らしくない。

 

とこれまた、自分を苦しめる要素になる。

 

 

 

 






 

 

私たちは、本来、平面の世界に生きているだけなのに

 

何がえらくて、何がすごくて、何が勝っていて、何が負けていて

 

って勝手に意識の中で差別化してる。

 

 

 

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大好きなおじちゃんと 








 

事実がそうなんじゃなくて

 

意識が、現実に差をつけている。

 



 

 





 

 

 

その、差をつける作業は、実は、ものすごく楽しい。

 

なぜなら、個を感じれる気がするから。

 

 

 




 

 

もともとワンネスの私たちは、差がない私たちは

 

差をつけて遊んでる。

 

それが、個だ!と楽しんでる^^

 

 

 

 





 

 

生まれて、存在しているだけで

 

実はれっきとした、個であり、


差であるのに




 

もともと一つ。という概念が強いのか

 

わざわざ差をつけて苦しんで遊んでたんだな〜。

 

 

 

 





 

事実は、

 

父と母が私を産んだ。

 

私は父と母から生まれた。

 

 

 

 

だけ。

 

これに、どっちが強くてどっちが弱い。って意識で差をつけて遊んでいた。

 

 

 

 




 

 

実際、私が娘を妊娠した時も

 

妊娠する直前に娘が夢で現れたけど

 

そう考えてみたら、私が産んだ。というよりかは

 

共に創造した。という感覚だったんだな〜。と

 

 

 

 




 

 

 

私の、子宮で娘は育ったけど

 

私は育てたし、娘も育っていった。

 

 

 

 



 

最初から

共同創造だった。

 

 

 






 

 

自分が見ている現実や


無意識に生まれる人との差別化の原点は

 

親と自分とに差をつける意識から始まったのかな。と

 

 

 

 

 




 

産んだ人、育てた人がえらくて

 

産まれた人、育てられた人は弱い。

 

っていう意識があると、

 

すべてにおいて



 

何かしたから偉い。すごい。

 

何もしてないから偉くない。すごくない。

 

って自分の事ジャッジして苦しくなってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

みんな誰かの子供。

 

みんな共同創造して生まれてきいるだけ。

 

 




 

 

 

人間が、もしみんなミドリムシなら

 

細胞分裂の基のミドリムシはえらくて、分裂した方のミドリムシは弱くてってなっちゃう、ピラミッド型の関係。

 

 

 

 


 

 

でも、ミドリムシってなんとなく

 

ただ増えてる感じじゃないですか?

 

 

分裂の本家、分裂した方の分家。とかなくて

 

全部が同じ平面の世界。



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一緒のお皿に乗っている、平面の世界。平面だけど、個がある。差をつけなくても、差になってる。

 

 

 

 




 

産んだ方も、生まれた方も

 

同じ細胞。同じ意識。

 

 

 

 

 

 





全ての物事に差をつけているのは


自分の意識。


悟りとは、差を取る。周りとの差がなくなること。


とも言われている。







自分が差をつけているだけ


それに気付いたら、全てが自分である。という感覚も


すごく腑に落ちるし、楽になる。






もし、今何かに苦しんでいるのだとしたら、


自分は何と差をつけて遊んでいるのかな?って


問いかけてみるとすごく面白いですよ










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