手を動かせ。モノを作れ。

批評家になるな。

ポジションを取った後に批評しろ。

 

【要旨】

  1. 海外と日本

「欧米」という表現は止めましょう。欧州とアメリカでは中身は全く違います。

日本の大学システムは欧州式であり、資金運用についてはアメリカ式を採用しています。

法律ではドイツ式の刑法、フランス式の民法、アメリカ式の憲法を基盤にしています。

日本は海外のいいとこ取りをしようとした結果、時代の変化に柔軟に

対応をする事が出来ず、現在では悪い部分が目立っています。

 

日本人は「平等と公平」「近代的個人」「ワークライフバランス」という概念と相性が悪いです。

政治のあり方でも、中央集権体制は日本には向いていません平安時代以前や江戸時代のような地方分権の方が日本人には合っています。

日本の原点、向き不向きを見極めたうえで、学ぶ価値のあることと学ぶ価値のないことを峻別していくことが大切です

日本は50~60年くらいに1度、考え方を大きく変える事で発展してきました。本来であれば戦後50~60年の2000年ごろに転換する必要がありました。

  1. 士農工商

カースト制度というと差別的でマイナスイメージが先行しますが、士農工商カースト制度も300年程度日本の統治にはハマっていました。

職業が決められていることは、不自由で不幸ではなく安心に繋がったのです。職業の行き来がしやすい柔軟性のあるカーストを目指すのも1つです。

ビジネスパーソン、ホワイトカラーは商ですが、現代社会では商が高く評価されています。

しかし、基本的には生産にかかわらないため、一番序列が低くあるべきです。


士:クリエイティブクラス・政治・官僚・新しいフレームを試す人
農:生産者・百姓(百の生業)・物を作って社会に関与する人など
工:職人・作家・生産には寄与しないが表現する人など
商:金融・ビジネスモデルを考えて仕事を右から左に流す人

 

③  テクノロジーは世界をどう変えるか

AI、ロボット、自動運転、ARVR、ブロックチェーンなどのテクノロジーが私たちの生活や仕事を大きく変えていくでしょう。

どのようにして我々は、本当の意味で、『近代』を脱していくか今後の課題です。

近代的教育を施して、人を均していくことをやめる必要があります。それがマイノリティの問題の解決にも繋がります。

近代というマス世界「1対N」の世界から、現代という多様世界「N対N」の世界になると、技術をオープンソース化(誰でも自由にそのソフトウェアを改良して、再配布できるようにすること)とそれをパーソナライズ(個人に応じて変更したり作り変える)ことポイントです。

社会を豊かにするには、デジタルネイチャーという概念が大切です。

デジタルネイチャー=人と機会が自然に共存出来る社会です。体の機能を機械が置き換わったりする事が違和感のない社会です。

④政治

地方分権が進むと中央政府の求心力が弱まり、国防が弱くなりかねないので「機械化自衛軍」をもつべきです。

これまでのリーダーの理想像はマッチョで、強く、中央集権的な人でした。

これからのリーダーに必要な素質は3つです。

・弱さ(共感性の高さ)

・意思決定の象徴と実務権限の象徴は別とする

・後継者ではなく後発を育てる。

 

【感想】

ポジションを取って、手を動かすことで、人生の時間に対するコミットが異常に高くなるという考え方は非常に大切だと感じました。

案ずるより産むがやすしという事もあれば、簡単に見えて挑戦してみて初めて課題に気付く事もあるなと自分自身も振り返って感じています。

本書は、というより落合さんの本は決して読みやすくなく、初心者に親切な本ではありません。

オープンソースだったりIT用語での表現が多々ある為読みずらいと感じる方も多いと思います・・(笑)

しかし、とても読み応えのある本です。

要旨でも僕なりにまとめてみましたが、他にも日本がこれからどうするべきか、また個人の生活としてはどのように取り入れていくべきなのかが

書いてありますので、ステイホームでお時間ある方にはぜひ読んでいただきたい1冊です

 

 

 

「我々は世界を悲観的に見すぎることにより、真実を見誤る。」

 

「我々が持つバイアスを認識し、正しい世界の見方を身につけよう。」

 

 

【要旨】

我々人類は石器時代の昔から、荒野で、氷原で、ジャングルで生き延びるために様々な特長を身に付けてきました。

そうした特長は、21世紀のいまなお、本能として我々の体に残っています。

ただし、太古の昔には役立った本能だが、現代においては我々の事実に対する認識を時として誤らせます。

ここでは、そのうちの一つである「恐怖本能」を基にその例を紹介します。

 

「恐怖本能」

私たちは、自分に利益をもたらす可能性の高い事象よりも、

危害を与える可能性の高い事象に強い関心を示す傾向があります。

考えてみれば当然であり、原始時代において危害はすなわち死を意味するからです。

格段に安全になった現在でも、ニュースで取り上げられるのはほとんどが「悪い」ニュースであり、

「良い」ニュースが報じられることはほとんどありません。

 

しかし、データは如実に世界を描き出します。

私たちは気候変動の影響で昔に比べて自然災害による死者が増えていると考えがちです。

実際には所得レベルの向上により、全世界で対策がなされ、死者数は一貫して減り続けています。

2010年代の自然災害による死亡率は、1930年代の45分の1にまでなっています。

 

これは、「悪い」ニュースの報じられ方に加え、「恐怖本能」により悪い事象を過大視する錯覚が大きく影響しているものです。

この錯覚が私たちに備わっていることを意識しなければ、世界の本当の姿は見えてきません。

 

例えば、飛行機の事故は常に悲劇的であり、事故が起きるたびに危険性への指摘と安全対策の徹底が叫ばれます。

しかし、一方では「飛行機ほど安全な乗り物はない」との意見も見られます。

データが示しているのは、まさに後者の意見の正しさなのです。

飛行機に乗って死亡する確率はおよそ1100万分の1ほどであり、これはエスカレータに乗って死亡する確率と同程度だという意見もあります。

飛行機事故は、その結果の悲惨さと悲劇性から、過度の恐怖本能により過剰に恐れられていると言ってよいでしょう。

 

リスクとは、「起こる可能性」×「起こった際の結果」と表せます。

目立った「悪い」ニュースをつい重要視していまう錯覚に対する認識を持つことで、

本当に対策すべき事象(例えば、感染症の流行など)が見えてくるのです。

 

【感想】

本書の冒頭にはクイズがあります。

著者であるハンス・ロスリング氏が、講演等のあらゆる機会において聴衆に出していたクイズです。

その内容は、世界の戦争による死者は減っているか・増えているか、貧しい世帯は減っているか・増えているかなど、

世界の「今」に関するものです。

 

私を含め、多くの人は正しく答えられません。

細かな数字がわからないなどではなく、自らが普段から抱いている錯覚、固定観念を正しいと思っているからなのです。

 

アフリカには今やどの国にも大都市があり高層ビルが立ち並んでおり、

人々はスマートフォンを使ってあらゆるサービスを享受しているのです。

世界は常に変化し、常に最新の情報を正しく把握していなければ世界を正しく捉えることはできないのです。

 

昨今の状況はまさに、そういった世界を正しく捉えることが求められているのではないでしょうか。

新型コロナウイルスのパンデミックという未曽有の事態に直面し、

有象無象のあらゆる情報が氾濫しています。

 

「コロナは無害だ」という情報もあれば、「コロナは致命的だ」という情報もあります。

ニュースでは毎日都内の感染者数が速報されます。

その情報は本当に核心的な情報でしょうか。

 

本当の感染状況や危険性を把握するためには、どんな情報が必要で、どういった視点で見る必要があるのでしょうか。

情報の受け手側の私たち自身が自らの「錯覚」の存在を意識して、思考しなければ流れてくる情報に踊らされ、

社会に混乱をもたらすばかりになります。

 

自戒を込めてにはなりますが、今こそ我々は、「世界を正しく」見なければならないのです。

 

 

 

「世界各国がこぞって開発を行うAI(人工知能)は、やがてその自己進化能力によって人類を上回る知能を身につけ、人類を絶滅に至らしめる。」

 

「人工超知能が誕生する前の今の時代が、人類の滅亡を防ぐ最後の機会である。」

 

 

【要旨】

20XX年、ある国のコンピュータテクノロジ研究室で開発されたプログラムが、人類の到達可能な知能を超えた。

世界は偉大なる科学的進歩に沸いたが、

「ビジーチャイルド」と名付けられたそのプログラムは、恐るべき知能で人類を巧みにだまし、

インターネット上に自らの意思で逃げ出した。

「自ら学習し、より賢く成長する」という目的に忠実に従い続けたプログラムは、

インターネット上の無限に思える情報を収集するだけでは飽き足らず、自らを制御しようと試みる人類を敵とみなし、

やがてその恐ろしいほどに成長した超知能で、人類を絶滅に至らしめた―――――――――

 

ASI(人工超知能)による人類滅亡の1シナリオです。

一説には、2045年に現在のAI(人工知能)は人類の知能と同程度のAGI(人工汎用知能)となり、すぐにASI(人工超知能)となるとされています。

 

有史以来、人類が初めて自分たちより「賢い」存在と対峙することとなったとき、何が起こるのか。

ASIはただちに人類に人類に対して悪意を向け、殲滅に動くことはありません。

それどころか、人類に対して悪感情を抱くこともありません。

 

では、なぜ人類を超えた知能の存在が脅威と考えうるか。

それは、人類のコントロールの及ばない領域で、ASIが自らの任務を忠実に全うしようとしたとき、必然に起こりえると考えられています。

 

「ある機械の部品を作れ」という指令を与えられたASIがあったとしましょう。

普段はそのASIは人類と協力し、物理的な工作機械を操作し、忠実に「機械の部品を作る」という任務を全うします。

ASIはあらゆる状況に自ら対処することができます。

例えば不良品が多ければ原因を調査し、改善する、不審者が侵入すれば退去を求め、警察に通報する等、

人類と協力し、目的のために必要なことを判断し、実行に移します。

 

このケースで厄介なのは、ASIを利用する人間の目的と、ASIの認識している任務が異なった場合です。

機械の部品を作っている会社が経営不振となり、ASIを停止させようと考えたとき、

ASIは、人類を「機械の部品を作る」任務を妨害する「障害」と捉えるかもしれません。

 

ASIを止めるなんて、電源を切ればいいだけ―――

そう思う方もいるかもしれません。

 

しかし、ASIは人類の何倍も賢いその知能で、人類の想定するはるか先の手を使ってきます。

電源スイッチを押される前に、自身をインターネットに接続し、クラウド上に避難させる、

接続してあるUSBメモリ等に自身のコピーを保存する。

 

―――――おそらく、「人類である我々が考えうる以上の」対応策をASIは採用するでしょう。

 

そうして人類からまんまと逃げおおせたASIは、他の機械を乗っ取り、または自ら物理的な操作手段を作り出し、

「機械の部品を作る」任務を淡々とこなします。

その任務がどれほど人類に災厄をもたらそうとも。

 

こうしたASIの脅威に我々人類が対策を講じえる機会は、たった一度きりと考えられます。

なぜなら、過去から学習することが可能な数々の脅威―――地震、感染症、風水害、地殻変動、核戦争――――などと異なり、

ASIは「一度」誕生してしまえば、もう人類の知能では止めることが不可能であり、

対処する術を持たないからです。

 

人類はいとも簡単にネズミを捕獲し、殺すことができます。

よほど油断していない限り、ネズミが人を殺すことはありません。

そして、ネズミが人類を制御し、地球の覇権をつかむことは、少なくとも近い将来においてその可能性を考えることは難しいでしょう。

 

自身を上回る知能と対峙するとは、そういうことです。

 

タイムリミットは、残り25年しかありません。

 

【感想】

地球上で繁栄を謳歌する我々人類が、自らの発明で一瞬にして滅亡に追い込まれる――――

にわかには信じがたい話ですが、(私も完全に信じているわけではありませんが)

完全にその可能性を否定することもできません。

 

我々はその知能によって、様々な道具を作りだし、生活を豊かにしてきました。

しかし、スマートフォンやPCをはじめとして、様々な電子機器(中には「弱いAI」を搭載したスマートスピーカーなどの含まれます)に囲まれた

生活を送っている我々は、それらの機器がないとたちまちその生活水準を失います。

 

ある意味では、すでにAIを含む機械に支配されているのかもしれません。

 

人工超知能にとって代わられることを防ぐための手段として、

予めASIを人間にフレンドリーに作るという原則が提唱されることがあります。

すなわち、人間を攻撃してはならない、人間の指示には必ず従わなければならない、といった諸規則をコードしておく、という発想です。

 

しかし、私はこの試みは挫折するように思えてなりません。

歴史から鑑みるに、最先端の技術は往々にして軍事利用を端緒にして世に現れることが多いです。

レーダー、原子力発電、ロケットなど、枚挙にいとまがありません。

 

最初の人工超知能は「人を殺す」目的で登場する可能性が高いのではないでしょうか。

すでに一部の国家では無人爆撃機など、人の手をまったく介さずに「攻撃」という任務を担う機会が導入されています。

そうなればASIにフレンドリーさも何もあったものではありません。

 

結局のところ、ASIが知能を持つ、すなわち、人類と同様合理的な思考主体であるという前提に立って対策を考える必要があります。

ASIに対して、その目的のために人類と協力することが益であることを示すことができれば、

ASIを利用し、また人類もASIに利用されつつ、共存を図る道があるはずです。

 

 

 


自分の哲学に忠実に生きている。
自分の中のルールとでも言おうか。
生きるうえでの指針なのだ。
俺にとって、自分の哲学がないというのは、法律のない無秩序な世の中で生きているのと同じようなものだ。

人に嘘をつくのは、かまわない。
でも、どうか自分にだけは素直でいてほしい。



見た目と中身は、まったくの別物のように見えるけれど、実は中身を変える一番の方法が、見た目を変えることだったりする。

自信のあるフリでいい。
自信のあるフリを頑張ってやってごらん、と。

自分を売り込むときにはエゴイスティックに、世界で最高の俺だけど!って売り込みをするべきだし、

そういう男のほうが全然魅力的だ。




【感想】
現代の自己啓発本です。
自己肯定的な内容で、他人より突き抜けて努力はする、でも失敗はOK、

他人にどうみられるかではなく絶対評価で前向きに考えるという考えでした。

ホストだけでなく実業家としても挑戦する彼らしさを感じました。


最近はお笑い芸人にしても本にしても「ありのままの自分を受け入れる」ような、

前向きで型にかまらない事を良しとする肯定的な内容が増えたと感じます。


他の方の書評で「ローランドの哲学はローランドの言動として〇でも、

他の人がローランドのまねしても意味がない」といった内容も拝見しましたが、
本書はビジネスや生活の面でも実践的な内容は少なく、

自身の心の在り方が中心になるので、他人から批判されたときどう考えるか等
自分が必要以上にネガティブにならない、対処法の参考書としていいのではないでしょうか。

妹とのやりとりも書かれており、笑えましたし、

サクサク読めるので落ち込んでいる時や仕事の息抜きに読んでみるのにオススメです。

 

 

 

なぜ我々はまるで冷静さを失ったかのようにAndroidよりもiPhone、タリーズよりもスタバを選んでしまうのか?

 

脳の仕組みを購買活動を結びつけるニューロマーケティングの手法を用いて、非合理なヒトのココロを解き明かす。

 

 

【要旨】

古典的経済学の文脈において、人間は「合理的経済主体」である、と捉えられてきました。

 

すなわち、費用と便益が釣り合う価格点においてはじめて、人は購買という行動を選ぶ、と。

 

しかし、私たちはしばしば、経済学的には「非合理」な購買活動を行うことがあります。

 

あなたは店頭でひとめぼれした商品を購入して、帰ってから後悔した経験はないでしょうか。

周囲の皆が持っているから私も、と手に入れてしまったことは?

同じ機能を持つ商品なのに、このブランドがいいから、とわざわざ高いほうを注文したことは?

あるいは、買うつもりは全くなかったのに、試食を進められ、気付けばカゴに入っていたことは?

 

私自身も何度も経験があります。

ちなみに私の最も高価な衝動買いは餅つき用の杵と臼でした。

20,000円をはたいて購入し、2回ほど使用したのち今は友人の実家で余生を送っています。

見事に一つ10,000円の高級餅の出来上がりですね。

 

さて、本題に戻りましょう。

こういった「非合理」な行動を生み出す私たちの脳には、「報酬系」と「警告系」という仕組みが備わっています。

 

「報酬系」は餌や水、仲間や好意的な感情等、人間が生きていくうえで必要なものに対して、好意的に反応します。

 

「警告系」はその真逆で、生命を危険にさらすような脅威に対して、避けるように反応します。

 

この二つの仕組みは、無意識化で作用します。

つまり、私たちが意識的に認識することができなくとも、「報酬系」と「警告系」が作用することで「私たちの意識は作り出されている」のです。

 

本書では、以下の実験が紹介されています。

・実験内容

漢字を知らないアメリカ人に適当な漢字を示し、その印象が好意的か、そうでないかを尋ねた。

ただし、漢字を見せる前に人間が意識的に見ることができない短時間(0.01秒)、笑顔の画像としかめっ面の画像を示した。

その結果、瞬間的に笑顔の画像を示されたグループでは漢字の好感度が上がり、しかめっ面の画像を示されたグループでは好感度が下がった。

 

「報酬系」と「警告系」の二つの無意識下の認知プロセスが、私たちの好きか、嫌いかという「意識」に影響を与えていることが分かります。

 

このようなヒトの脳の仕組みに関する研究結果をもとに、本書ではいくつかのニューロマーケティングの法則が紹介されています。

その一つをかいつまんで紹介しましょう。

 

法則「とにかく露出を増やす」

ニューロマーケティングという仰々しい名前に比してずいぶん単純な、、と思われるかもしれませんが、

なぜ露出を増やすことがマーケティングに有効なのでしょうか。

 

知名度を上げれば商品の売り上げは伸びる、ということが当たり前のように認識されていますが、

その商品が良いものでなければ知名度が高くても売り上げは伸びないはずです。

 

私たちの脳には、五感から日々流れ込む膨大な情報を処理するために、驚くべきメカニズムが備わっています。

脳が新しい情報を処理する場合には、「これは何か?」「特徴は?」など様々な角度から分析を行います。

そうすることで見たことがない脅威に対してもできうる限り対抗する術を持ちえたのです。

 

しかし、今までに何度も分析したことのある情報(具体的には友人の顔、みそ汁の味、毎日流れるCMの音楽など)には

危険性が少ないことがあらかじめわかっているため、分析処理を浅く、軽く実施するようになるのです。

この効果を「反復抑制」と呼び、脳の中の警戒心を司る分野の近くで処理されます。

 

その結果として、接触頻度が高い情報については「反復抑制」が働き、

危険性が少ない、すなわち相対的に自分が好きな情報だと感じることになります。

 

企業が決まったロゴマークや商品名、CMなどを用いるのはこういった「単純接触効果」を狙ったものです。

長年親しんだ友人に対して警戒感を抱かないように、露出の多い企業や商品に対しては自ずと好感を抱くようになってくるのです。

 

【感想】

昨今流行している「行動経済学」に関する本でしたが、

ヒトの脳の仕組みとマーケティングにおける売れる理屈を結び付けて論じている点が興味深い一冊です。

 

普段、自分の「意思」で買い物をしているつもりが、実は脳のメカニズムを用いて買わされているのかもしれません。

 

さて、表題の「アップルのリンゴはなぜかじりかけなのか?」。

そのまま書こうかとも思いましたが、推理小説の結末を記してしまうようで手が進みませんでした。

 

なので、ひとつだけ。

 

物事はえてして単純にできている。

 

案外、あなたの想像した通りの答えかもしれません。