アメリカ生活6年目にして、大学院に入学して以来、初めて泣くようになりました。
今までは、個人的な悩み(英語でのコミュニケーション、失恋、就職活動、入試)があっても、友達に話してスッキリしたり
曖昧なままでも日々の忙しさからすっかり忘れてしまったり・・
そうして乗り越えてきていました。
大学院に入って、初めて経験する新しい感情があります。
例えば、急に親のことや親戚が心配になるのは過去5年間のアメリカ生活ではあまりなかった。
家族のことを考えることは多かったけれど、将来のことが『心配』になることは稀だった。
自分が成長しているという考え方もあるけれど、とにかく博士課程の大学院に所属するということは
人生の一番大切な基盤をつくるという経験になるので、
不安定な自分があるんですよね。
卒業後の進路などまだ見えないものはとても怖い。
その他に涙をながしたのはつい昨日のこと。
臨床サイコセラピー面接のクラスのスーパーバイザーとの面接のとき。
たった1時間のスーパービジョンが始まってたったの5分程で、私の英語でのコミュニケーションについて指摘をうけたんです。スーパーバイザーによると聞く質問の内容はいいけれど、
質問の聞き方がアメリカ人とは違うということでした。
大学院で私のセッションを監督するのは彼女だけなので、
彼女が目で見て感じることは私の臨床心理士になるためには欠かせない大切な視点なんです。
そんなキーストーンの様な存在の監督から、私の弱点(留学生ならあたりまえでしょ?)をつかれて
正直、ショックでした。
英語のことなんて、アメリカに5年も住んでたら考えない日は一日としてないです。
でもどんなに考えても、アメリカ人の様には話せないのが現実です。
ただ、臨床現場では、明確な言葉使いが要求されるということを再認識することが出来ました。
その上、彼女の一見HARSH(厳しい)意見のおかげで、自分の立場を理解できました。
私には、アメリカ人の学生が臨床トレーニングや学業の面でつらくてもがいているのと同時に、もう一つの壁があるということ。 私は他の学生より、向き合わねばいけないものが一つ多いということ。
私の経験は、共有して理解してくれる人は少なく決して楽ではないけれど、他の人には経験できない特別なことを経験できているということを胸に、つらいことにも向き合っていきたいなと思います。
大学院に入学してひさしぶりに『泣く自分』に出会いました。
いままで泣くことから避けてきたぶん、
つらい気持ちに『素直』になって、自然なままの反応で向かい合っていこうと思います。
少し恥ずかしさがありましたが、
その恥じらいというのも、見方を変えると『避ける』ことにつながるのと思うので、
『そのまま』の自分でいたいな。 って。
出来るかな・・・