risingshotのブログ

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かつて、熊本医学校、東京医学校を卒業し、ドイツの高名なロベルト・コッホ研究所で薫陶を得た日本人がいたことに興味を持ち、その方人生の足跡を書籍に訪ねてみました。その人は北里柴三郎先生。昨今、コロナ感染で検査キット、治療薬及びワクチンの3本柱の開発が進められているようですが、先生の足跡を知ると、感染症というものは医療研究と治療が連携して行われて初めて感染病を克服できるものなのかなあという印象を持ちました。先生は明治期、海外で流行したペスト原因調査で、日本を代表してペスト菌の発見をされたようです。

 

私の印象では、純粋な医療研究者、治療も視野に入れた研究をされていたのかまでは書籍を読むまではその奥深さはわかりませんでした。

しかし、研究者であると同時に、治療に当たる医師でもあったのではないかと思うようになりました。当時、海外での名声に比して、帰国後いろいろな軋轢がありながら、自分の信じる医療を貫いた方のようです。詳細は、いろいろな専門書籍に譲るとして、先生が唱えた医道論には諫言めいたものが多く、職業の業種を問わず、考えさせられることが多い内容でした。

 

現在、起きているコロナ感染については、前述のロベルト・コッホ研究所のHPにて、ドイツ国内の感染状況を非常にわかりやすく、図や数値で掲載されており、またドイツ国内在住の日本人の方で、ドイツ各州における地元新聞報道などの情報を動画配信されている方もいます。

その際、情報発信の出典を明記されていることから、情報の出所が研究所発信なのか、新聞かあるいは私見に基づくものか、峻別でき、コロナ感染症で例えばドイツでの実情を知る上での1例として、翻って自分がとるべき感染予防対策や感染者数の各種数値における算出背景の差違など、医療を専門としなくともある程度はわかるようにはなったかもしれません。

 

温故知新ではありませんが、コロナウィルスと完全に共存できるのは、検査キット、治療薬及びワクチンの3本柱がしっかり揃うまでは、感染に対する不安を完全に払拭するのは難しいのかもしれません。北里先生がもし、この時代に生を受け、ご活躍されていたらどのような行動をされたか、歴史にもしはありませんが、願わくば、早くこの3本柱が揃って欲しいものです。現代の医療従事者、医療関係者等の方々におかれましては御自愛され、かつ新型ウィルスとの奮闘に日々、感謝しております。

 

最期に先の医道論で最も印象に残った言葉で締めくくりたいと思います。

 

”古人曰く、医は仁の術なり。大医は国を治す”

特別定額給付金のオンライン申請が各都道府県市町村で始まっていますが、自分のスマートフォン XPERIA5で必要なアプリを入れ(事前に対応機種の確認済み)、 マイナンバーカード読み取り操作で、思わぬ手間がかかってしまいました。

 

このマイナンバーカードのスマートフォンによる読み取りには

 

1.NFCというお財布携帯などでつかうセンサを使用する。スマートホンの裏面に”NF”と書かれている部分がそれに相当する。

 

2.マイナンバーカードの読み取りはこのNFC機能を使うため、スマートフォンを市販収容ケースに入れている場合、本体を収容ケースから外

 す必要がある。(スマートフォンの機種によるため、断言はできませんが。。。)

 

3.スマートフォンによっては、このNFC機能部分のセンサにマイナンバーカードに対して、縦あるいは横にしないと読み取りエラーがでること

 がある。また機種によってこのセンサ部分の位置が異なるため、スマートフォン各機種のNFCセンサの物理的場所は製造メーカ等の情報

 で事前確認が必要。

 

等、マイナンバーカードのスマートフォンでの読み取り説明ではさらりと文章でしか書かれておらず具体性を欠いていたこともあり、結果として手間がかかってしまいました。

 

私の場合、上記1及び2に気づくのが遅く、ネット動画ではIPHONEでの操作例は多いですが、自分の機種での説明が見つけられず、結果として、2,項の実施と3項では横にして、マイナンバーカードの裏面(QRコードや個人番号記載面)を読み取ることで、正常なマイナンバーカードのスマートフォンへの読み取りができました。

 

ただ、その後の申請控えのダウンロードでは、ダウンロード圧縮ZIPファイルが壊れていることが多く、何回かダウンロードして、自己解凍させましたが、ファイル名の文字化け、PDFファイルの拡張子がPDF形式ファイルなのにADOBEでは認識されないため、スマートフォンからパソコンにコピーしてから、ファイルの中身を確認しました。その際、

 

プログラムから開く→ADOBEを選択

 

として、ダウンロードファイルにて申請内容の確認ができました。ファイル形式?とファイル名の文字化けはしていましたが、中身はちゃんと申請情報が見れました。

 

システムの問題なのか、文字化け原因はわかりません。ただ、このような世情で電子申請が世俗や動画で言うほど、私の場合は簡単にはいかなかったためもし、マイナンバーカードの読み取りでつまずいている方がいれば、本ブログが参考の一助になればと書いたものです。

 

あとは、どのくらいで入金されるか待ってみようかと思います。(郵送申請と電子申請では公的HPにて入金予定は1ヶ月も違うことから、電子申請をしてみた次第です。)

祖先を敬うことには、お盆や命日にお墓参りなどいろいろな形があると思います。私の場合、今は亡くなったおじさんから聞いた話から、そもそも祖先は当時(戦国時代)、どのような暮らしをしていたかを知ることもまた、敬いとなるのではと思いました。

 

おじさんから、幕末時代における古文書記載の祖先の名前から、口伝で聞いたことが事実なのか?実際に祖先が住んでいた地元にいって、歴史資料館などの郷土資料担当者さまのご協力を得ながら、口伝内容の事実を確かめにメールでの事前連絡を経て、現地へ足を運び確認しました。(歴史資料館の方には、当時の暮らしを知ることも祖先を敬うということになるのでは?とのこちらの意図にご理解頂きました。感謝に堪えません。)

 

おじさんの口伝では、話が飛躍していた(当時の身分が、小姓、家老などまちまちで世襲性となっていないなど)ことから、まずは名前を元にして、祖先を辿ることにしました。

 

結果、おじさんの口伝は正しかったことが、その藩の慶応元年分限帳などの多くの歴史的資料からわかり、行き着いた当時の主君が誰であったかもわかりました。

また、幕末時代に住んでいた古文書の城下地図にもその名前を確かめることができ、これを資料化して、その時代をどのように生きたかも踏まえ、敬うようにしています。

 

教科書等での教育では決して教わらないことですが(受験勉強の加点には一切関係がないことです。)、知的冒険を兼ねて自分自身で調べ、資料を集めることで、お墓参りに加え、戦国時代から幕末、近世の生き様を踏まえて敬うこともでき、調査には時間的にかなり費やしましたが、亡くなったおじさんの話をより明確にすることができて良かったと思います。

 

身近なご先祖様の生きた時代の歴史に接するにあたり、自分自身でその背景を調べることが自分にとって、真の学びであり、また祖先への敬いにもなるのではないかと個人的には思っています。

 

 

 

昔、通っていたテニススクールには、屋外コートの他、オートテニスマシンがありました。

いろんな球種と速度及び方向が自動的にかわる、球出しマシンで打点の確認や左右へ振られながらのショットの練習で1人でもくもくとやるには結構すきなマシンでした。

 

今では、コートのみで、なかなか同じようなオートテニスマシンが身近にはなく、可搬型テニス練習機(単1乾電池4個で駆動)をテニスコートへ持ち込んでやっていたりしてました。(ネット通販で昔はよく見かけていましたが。。。)

 

ただ、テニスコートのレンタル約款等の制約からか、いまではできないようです。オートテニスマシンは地味な練習ですが、家族連れの方がきて、気軽にテニスラケットにボールを当てることについて喜んでいる姿をみていると、テニスを身近に感じることができる施設なのかもしれません。(経験者の方も練習されている姿もたまにみます。)

 

近隣の騒音等の問題もあるようですが、オートテニスマシン自体はこじんまりしていて、使用マナーをきちっと守れば、テニスで金額的に敷居の高さを感じることもあまりないような施設かなあという気がしています。

 

空き地を更地にして、建売住宅やマンション建設が多い中、壁打ち場所やオートテニスマシンのよう施設が公営的なもので形になることを切望している次第です。

 

梅雨も明け、町のいろいろな場所で夏の催し等が行われています。
ある水族館では、赤ちゃんイルカの命名式やアザラシさん達の成長ぶりを観ることが
できるイベント。
母親イルカの真似をして、はねたり、魚を食べたりと成長していく過程を見ているとそこに携わる水族館の人々と動物達との信頼感をひしひしと感じます。


テニススクールでは、夏特有の大会があり、そこでは炎天下の中、懸命にテニスボールを追いかける多感な人々。


東京では日本固有の古武道大会で、日頃の修練と伝統堅持に研鑽を重ねている人々の演武。


神社では、いろいろな神事や多くの御朱印帳が存在することに対する驚き。


いろいろな方面で道を極めた人が、それぞれの町で1日を過ごしてる様子をなにげに傍観すると、趣味や興味を自分なりにいろいろ持つことの大切さとそれに無言の姿で応えてくれる人達に改めて感謝する次第です。


独善的や批判的になるのが目的ではなく、まずその方面の出来事を先入観なく見据え、同じ目線にたつことで、その道での修養が如何に大変であるか、その片鱗に触れることが大切だと思っています。


テニスでは特に選手の練習を間近に観て、こんな凄いことができる選手が出場している海外本戦中継試合をみると世界は広いなあとつくづく感じます。

勝ち、負けは勝負の常ではありますが、その裏にはあのような練習を重ねても超えられない壁もあることに非常な厳しさを感じます。


勝ち、負けは職業として避けては通れないものもあるとは思いますが、勝ち組、負け組などの言葉で人そのものを一括りにできないものであることも確かだと思っています。


物事の本質は、職業的なプロを目指すだけでなく、自分もその世界の底辺からでもまずその身を置いて、自分の身体で汗をかき、現場を経験することでしか見えてこないものだと思っています。


いろいろな町並みの夏のさまざまな1日を観ていて、この点はぶれてはいけないと改めて感じました。

イギリスのドラマを探していて、ダウントン・アビーというものを初めて観ました。

1912年のタイタニック号事件からはじまり、執事やメイド達と上流貴族の家族を描いた素朴なドラマは初めてですが、非常に面白いです。


メイドといえば、アニメ 小公女セーラ(原作:フランシス・バーネット)でダイヤモンド鉱山経営の父親を亡くして、英国寄宿舎で生徒からメイドへ扱われ、屋根裏部屋で寝泊まりしていた主人公 セーラ・クルーと地方からメイド働きにきたベッキーを思い出しました。

アニメーションでは、食事・洗濯・買い物や暖炉の石炭くべなどを子供のメイドが行うシーンがあり、子供のメイドと寄宿舎の裕福な子供生徒とは天と地との差だなあと感じていました。(子供が生活の為に働くというシーンが非常にたくましかったです。)

小公女セーラでは、最期に大逆転があって大団円だったのが印象的でした。


ダウントン・アビーでは貴族のカントリー・ハウスでの生活が、執事やメイドの仕事の上にまわっている所や、貴族として生きる人間の憂慮も描かれていてなんだか、凄いドラマとしかいえません。(セリフの内容もかなり深いなあという感じです。)


男性のツイードやフロックコート、帽子などの着こなしも満載で、当時の服飾について非常に参考になります。

このドラマをみて、ふと以前、お世話になったBooksterという英国のツイード服の通販も行う会社を調べたら、営業を再開していたみたいでよかったです。ただ、以前に購入した時期に比べてかなり円安が進んでいて、日本円ベースでは価格が高くなってしまうのが残念です。


何か心に残る海外ドラマに久しぶりに出会えて、嬉しい限りです。




救急救命講習を受けた帰り、最寄りの体育館で中学生のバドミントン大会が開催されていたので見学しました。

バドミントンはラケットが軽すぎて、上手く扱えず未だに不得手なスポーツです。

参加者は皆、直向きに試合にのぞみ、盛大な応援でした。テレビ等で試合を観たことがありましたが、実際の大会観戦は初めてでした。


まず、テニスボールに相当するシャトルというものをラケットで打つ訳ですが、スマッシュに相当するものが凄く早く、コートも狭く、距離も短いことから自分に置き換えた場合、その動きに反応できるか考えてみました。


シャトルとラケットはテニスに比べれば軽いですが、あのような早いシャトルを小さなラケット面で捉え、かつ、相手のコートに即座に返す動作自体、相当なれないと無理だと思いました。


スマッシュも参加者によりいろいろでしたが、左右の肩を無駄なく入れ替えて身体を開かないで打つ人のキレは凄い物でした。
恐らく、考えてシャトルなるものに対応しているのではなく、五感で感覚的にコート空間を捉え、即断で打ち合っているようでした。

ある意味、極限の早さに人間がどこまで反応・対応できるかを試されるスポーツという印象を強く受けました。

中学生といえど、その動きの俊敏さや身体のキレはもの凄かったです。もしかしたら参加していた人の中から、東京五輪を目指して練習している人もいるのかもしれません。

バドミントンではスライスやドロップショットとかあるのかわかりませんが、あの参加者の早い動きを体験できるバドミントンサークル等一般向けにはなかなかないようです。


運動に伴い身体を動かす為の神経伝達力や瞬発力醸成には、バドミントンはよいスポーツなのかもしれませんね。大会ではチーム団結力、試合を直向きに応援している仲間の声援等、ひしひしと感じることができました。


社会にでて、日々の仕事に忙殺され、世知辛い世の中で忘れかけているかもしれない、大切な人間同士の協調・調和と直向きさをこの大会観戦が思い起こさせてくれたような気がします。


大会に参加されていた方々には多感な時期でのこうした経験を今後大人になっても大切にして欲しいものです。また、今日はその多感な10代の人達から、東京五輪を目指しているかもしれない、将来への芽吹きを感じた1日でもありました。



BOOKSTER様には納期こそ一部遅れましたが、いいものを仕立てて頂いて、今年は、コートをと思っていました。

ですが、だいぶ前から、注文できない状態が続いています。


メールも何回かしたのですが、メールボックスがいっぱいですというメールエラーがくるのみです。


事情はわかりませんが、早く再開してくれればなあと思っています。

禅。。

古流剣術には禅の影響を受けた流派があると聞いてはいました。


不立文字という言葉でその流派の背景説明を書いた文献を読んだ時から、禅というものが心の片隅にずっと居続けていました。


座禅という体験を名刹で行える場所として、鎌倉 円覚寺様での会をホームページで拝見し、体験してきたました。

警策、半伽趺坐(はんかふざ)、結伽趺坐(けっかふざ)などどれも聞いたことのない世界で、参加されていた方々も凄い人数でした。


体験会での印象的なお話は、咀嚼すると


1)座禅中は、自分の心を過去や未来に気持ちが引きずられることなく、”今”に気持ちを集中させることが目的で、座禅中の気持ちが過去又は未来の心配事等に移っていたら、それを”今”に引き戻すことを意識することが大切

2)呼吸は鼻からのみ行い、おなかのへその下(丹田)を意識し、その前に手を組んで奥歯を軽くかみ、ゆっくりと呼吸を行う。

3)目は少し開けて、1m先くらいをゆったりと観る。


1)、2)及び3)ができて、時間の経過を忘れるくらい座禅ができれば、それが禅のゴールとなるとのお話でした。


座禅と瞑想は剣術等で行ってはきましたが、円覚寺 居士林での静謐な中での座禅は、中央に不動明王像があることもあってか確かに何か違う感覚でした。このような世界観が、日本人のみならず、外国の方にも共感を得ること自体、計り知れない深遠さを感じています。


座禅自体は、家でも、立った状態でも行えますとの説明もあり、”今”のみを意識して行うと、眉間のあたりがもの凄く熱くなって行くのを感じます。


心の修養として禅ができてきたものか、これからいろいろ禅の世界を掘り下げようと思います。


日本には優勝劣敗、適者生存、勧善懲悪などの言葉に対して、あえて白黒をつけず、自分自身の修養の大切さをといている世界が多いように思います。最近では、勝ち組、負け組などなぜか自虐的に卑屈な印象を受ける言葉が多く、あまりいい風潮ではないように思います。


結果にこだわることは必要だとは思います。でもそれにこだわりすぎると自身の修養の結果か、または運によるものなのか、結局何によって得られたものなのか冷静にみることができなくなる経験を過去にしています。


温故知新とはよく言ったものだなあと、先人達の足跡を辿ることの大切さとそれが息づいていることを感謝し、この座禅会は、自分自身を内観するよい機会となりました。


Bookster ツイードのスリーピーススーツを昨年10月18日、PAYPAL決済にて、注文していましたが、この話には今回、ようやく解決したことがありました。


それは注文では、スペアパンツを1本追加でWEBにて決済しておりましたが、どういうわけか、このスペアパンツが納品されていませんでした。


このたった1つのスペアパンツ納品であちらとのやりとりは数十回にもおよびメールでの回答も2転3転、担当者が変わるとまた経緯からの話等。。。


英国はインタネット販売が活発と聞いたことがありましたが、やはり世界を相手に商売をするには、いささかマンパワーがたりないのかもしれません。


納品されたものには、特に謝罪めいた手紙等はなく、メールでのあちらからの回答は誠に申し訳ないの1文のみでした。(約7ヶ月かかっての納品です。)


これをどう捉えていいかわかりませんが、日本の商習慣に比べて事後対応がいいとは思えないのが残念です。


生地や仕立てが良いのは、経験上、まず間違いないのですが、円安がポンドに比して著しく進んでいることもあり、秋冬に着るのであれば、夏前に余裕を持って発注した方がよいようです。


BOOKSTER様には、このような点は是非、今後改善して頂きたいと思います。