こうしてヨルダンでの数日間はあっという間に過ぎ、時差ボケと長旅のコンビネーションに、ペトラでの歩き疲れとBBTJでのエネルギー的なワークが重なって、何が何だかわからない疲労困憊状態のまま、朝4時起きでクイーンアリア空港に向かいました。例によって漆黒の闇にモスクの緑色の塔が不気味な光を放つ殺伐とした街を抜け、やがてまだ人もまばらな早朝の空港へと到着しました。なんだかんだ、朝日が昇る頃には、イスラエルのテルアビブ (Tel Aviv) へと飛び立っていました。

 

 あまり歴史的なところを深く掘り下げることは避けますが、簡単に申しますと、イスラエルという国は、その建国の過程により、周辺のアラブ系の国に悉く敵視されています。ですので、イスラエルに入国しても、パスポートにイスラエルの入国の情報が加えられることがないように配慮されています。こうすることで、イスラエルを訪れた後に、例えばどこかのアラブ系の国を訪れても、イスラエルを訪問したという情報がパスポートに残らないために、問題なく入国できるようになっているわけです。ですので、いつ入国したのかを証明する目的も兼ねて、空港で入国の機械を通過するときに、写真のプリントされた小さな入国カードみたいなものが出てきます。イスラエルに滞在中は、このカードがI Dの代わりになり、ホテルのチェックインとかで提示を要求されますので、無くさないようにきちんと保管しておくことが大切です。

 

 イスラエルでは、最初の3週間は、グレッグ・ブレイデンさんのツアーに参加することになっていました。このツアーは、スピリチュアルの世界では有名人であるグレッグと一緒に、イスラエル中を巡る旅程になっていました。基本的に団体行動が苦手なので、ツアーというものがそもそも大嫌いなのですが、グレッグの本はほとんど読んでいて、彼のオンラインのワークショップとかにも参加したことがあり、彼と一緒に聖地を巡れるのはまたとない機会だと参加を決めたのでした。同じような興味を持つ人は結構多いようで、彼のツアーのメジャーなものはすぐに売り切れになります。そして、このツアーの出発点(集合場所)がここテルアビブでした。ここに数日間滞在し、ここからバスに乗って国内の聖地やパワースポット的な場所を巡る予定でした。

 

 

 テルアビブは、名前だけ聞くと何か重々しい中近東の街を想像してしまいますが、地中海に面した海岸にはモダンなホテルが林立し、ビーチは水着でビーチバレーを楽しむ若者などが溢れ、海岸沿いの舗装道路にはジョギングや電動スクーターで移動する人々が途切れることがない状態で、まるでフロリダ辺りのモダンなビーチタウンを彷彿させるものがありました。オシャレな店が並ぶ街並みは、ヘブライ語の看板がなければ、「あれ、ここヨーロッパのなんとか通り?」と見間違うような波動に溢れていて、街を歩く人もとても洗練された都会人的なオーラを出しています。

 

 

 このテルアビブの海岸の遊歩道をひたすら徒歩で南下してゆくと、岬の突端みたいな辺りの歴史的な重さを感じる建物が立ち並ぶ地区に到着します。ここがヤッファ (Jaffa)です。ヤッファは、元はパレスチナ人の住んでいた港町で、近年になってユダヤ人によってパレスチナ人が追放されて、テルアビブに合併されたそうです。歴史的な建物が密集した街を歩きながら、住んでいた場所を追われたパレスチナ人たちの存在を考えとても複雑な心境になりました。「テルアビブはモダンで住みやすい街だなあ。ここに住んでみたい!」などと天真爛漫に感じられない自分がいました。

 

 

 このテルアビブから、レバノンとの国境に近い辺りまで車で北上しますと、ハイファ (Haifa)という坂の多い街に到着します。このハイファで最も有名なのが、バハーイー・ガーデン (Bahai Garden)です。ここはバハーイー教という歴史的に新しい宗教の一聖地とされています。ここでは坂になっている山の急斜面に綺麗に整備された庭園が設けられています。この庭園の一番高い場所(坂の上)に入り口があり、ここから海を見下ろす雄大な景色を見下ろしながら階段をテクテク下りていきます。とにかく景色がいいので、素敵な写真がたくさん撮れます。

 

 

 そして、一番下まで来ますと、金色のドーム型の屋根が印象的な小さな建物にたどり着き、これがバハーイー教の寺院です。まず靴を脱いで、順番に列に並ぶ感じとなり、一度に10人弱の人を中に入れてくれます。しかし、中では撮影禁止で、しかも入ったらすぐに出る感じの忙しないシステムです。僕はこのバハーイー教の知識が全くないので、あくまでこの寺院を訪れた数分の間に感じた感想になりますが、確かにこの寺院には何らかの存在がいます。しかし、一つではなくて、複数の存在がいて、それも光と闇みたいな対照的な存在が同時に佇んでいます。そして、まるで鬼ごっこをするかのように部屋の中をぐるぐる回っています。ですので、何か神聖なものを感じるとかというよりは、ちょっと目眩に似たものを覚えます。バハーイー教のことは何も知りませんのでその辺のところは何も言えませんが、正直申しまして、あまり長居したくない感じでした。

 

 

 このハイファには、山の上をちょっと言ったところに、ステラ・マリス修道院が存在します。この修道院の歴史的な背景とは割愛させていただきますが(と言いますか、僕は誰かに教わった知識よりも、自分の霊感を何よりも信頼していますので、あまりリサーチなどせずに訪れるのが常なんですよ)、この修道院には、イライジャ(エリヤ)の洞窟 (Cave of Elijah) があります。洞窟と言いましても鍾乳洞的な深いものではなくて、ゴツゴツの岩がある窪みに祭壇がある感じの空間です。

 

 一つ前のブログでもお話しさせていただきましたが、ヨルダンを訪れた時から「あなたは誰で、僕にとってどういう関係の存在なのですか?」と問う余裕すらないままに、グイグイとイライジャ(エリヤ)と洗礼者ヨハネに導かれていました。そしてこの「エリヤの洞窟」という空間では、入った瞬間にグオングオンと周りが揺れ出しました。そして、シュワシュワキーンという甲高い波動のエネルギーが脳天を貫き、僕の身体全体が振動し始めました。

 

 

 ここは「本物」です。「霊験あらたかな何ちゃら神社に行ったら、なんかとても澄み切った心境になった」とかいうレベルの「ご利益」とは全然違って、まるでメガハイレベルに高波動のエネルギー・シャワーを全身に浴びられる、スピリチュアル版の遠赤外線サウナのようなパワフルな空間です。後で聞いた話ですが、ここには重い病を患った人たちの訪問が後を絶たない超有名なパワースポットだそうです。「あとで、自分だけで来て、できればここで一日過ごしてみたい」とそう願ってしまうほどでした。しかし、残念ながら、僕たちはハイファには滞在しないので、これが今回の旅では最初で最後の訪問となりました。

 

 この日はこのままバスでガリラヤ湖 (Sea of Galilee) の湖畔にあるホテルまで直行となりました。ホテルに到着したのが結構夜遅くて、ただ真っ暗でガリラヤ湖の全貌すら見えないままにホテルに到着し、その日は早めに就寝しました。

 

 そして翌日、朝方、ウーンウーンと唸っている自分の声で目が覚めまして、起きようとしたら全身が鉛のように重くなっていました。インフルエンザとかにかかった時に体がとても重だるくなるじゃないですか。あれの5倍ぐらいの重だるさです。熱は一切ないのですが、ベッドから何とか起き上がってトイレに行くだけで、体はフラフラで息もものすごく苦しいんです。

 

 

 これは昨年のブログに書かせていただきましたが、2019年末のヨーロッパの旅でも全く同じ経験をしておりまして、何らかの存在たちが、僕の肉体そしてエネルギー体に施術をしてくれている「ただいま工事中!」の身体兆候なんです。昨夜に洞窟を訪れてから、イライジャ(エリヤ)が僕に何らかのイニシーエションを与えてくれているのはもう明らかでした。ヨーロッパの時にイニシエーションをくれた聖母マリアとイェシュア(イエス)とは違って、イライジャ(エリヤ)には結構体育会系の力強さがあるんですよね。なんの遠慮もなくガツーンと来ました。

 

 

 ツアーに参加していますと、当然朝食のバイキングで皆と顔を合わせて世間話をしたりして1日が始まるのが常なのですが、食欲などは皆無で、まして皆と笑顔で会話する余裕もありませんでした。ベッドから起き上がるだけでも辛かったので、とにかく時間ギリギリまで横になり、最後の最後でシャワーを浴びて、そのままバスまで直行しました。

 

 「何とかバスに座ってしまえば、あとは勝手に運んでくれる」という一心での朝の「荒業」が、ここから約2週間の朝の「日課」となりました。不思議なもので、バスが動き出し、その日の観光日程をこなし始めると、体のエネルギーが循環し始めるのか、少しだけスーッと楽になるんです。ですので、毎日、朝の最初の2時間ぐらいを頑張って動けば、そのあとは何とかなっていました。

 

 そんなこんなで1週間ぐらいが過ぎ、宿泊場所も北のガリラヤ湖の湖畔から、南の死海 (Dead Sea) のリゾートホテルに移っていました。そんなある日に、ワジケルト (Wadi Qelt)にある聖ジョージ修道院 (St. George Monastery) を訪れました。ごつい岩山を登っていきますと、その入り口がありまして、そこから山道を谷底めがけて下りていった底にその修道院がありました。岩山をくり抜いて造られた修道院で、「何でこんなところに!」みたいなオシャレ感のある佇まいでした。

 

 

 実はここにも、イライジャ(エリヤ)の洞窟 (Cave of Elijah) があるんです。旧約聖書になぜイライジャ(エリヤ)がここを訪れたのかとか書かれているそうですが、その辺りには全く興味がないので、ガイドのお話を完全にスルーして、一人勝手に階段を上り、上階に向かいました。すると、グレッグがちょうど洞窟からできていたところで、ガイドたちと行動を共にしない僕を諌めるかと思いきや、「洞窟はそっちいって右だよ!」と笑顔で教えてくれました。

 

 結構狭い洞窟の入り口的空間は奥に向かって長細くて、両脇には座れる石のベンチみたいなものがありました。ここでは、ステラ・マリス修道院の洞窟ほどの浴びるようなシュワシュワキーン感はないものの、静寂なのに、シュウィーンと脳裏を貫く「岩に染み入り蝉の声」的な高波動のエネルギーに満ちた空間でした。ツアーのみんなことはすっかり忘れて、僕はそこで1時間弱瞑想しました。というか、意識は完全にどこかに飛んでいました。

 

 

 翌日の朝、例のよって自分の唸り声で目が覚めまして、また再び身体がズシーンと重だるくなりました。普通に座っているだけでも、なんか息苦しくて、横になっても重だるさは抜けずで、この5週間の旅で一番辛い状態でした。助けて。

 

 幸い、僕らが泊まっていたホテルは死海のほとりでしたので、「塩水に浸かったら楽になるかも?」と、水着に着替えてビーチみたいなところに向かいました。

 

 「塩」というとサラサラな食塩を思い浮かべる人が多いかもしれません。僕もそうで、てっきり死海の水底にはサラサラな粉状の塩が沈澱しているかと予想していました。しかし実際には、岩石のように結晶化した塩の塊で、裸足で入ろうものなら、痛くて歩けません。といってサンダルを履いて入っても、足とサンダルの間に尖った小石のような塩の塊が入り込んできて、「イタタタタタタ!」とあっという間に歩けなくなります。

 

 歩いている間は特に浮遊感は感じません。しかし、一旦腰をかがめて足を浮かせると、否応なく身体ごと仰向けに水面に持ち上げられ、「あ、これが死海!」と感激します。自分の身体がゴムボートになったような感覚でプカプカ浮き、手をオールのように使って動かして移動する感じです。因みに、これは死海で誰もが一度は経験する「悲劇」のようですが、一旦浮いた足を無理に水底に押し沈めて、さあ立ちあがろうとかすると、強力な浮力のせいであっという間に身体のバランスを崩します。そして顔ごと高濃度の食塩水にバッシャーンと浸かり、両目と、鼻の奥にナイフで刺したような痛みが襲い、「んげ〜っ🔥!!!!!!」と叫ぶことになります。ですので、無理に立ちあがろうとはせずに、プカプカ浮いたまま浅い方向にシフトしていって、お尻が水底についてから足を付けて立ち上がるのが基本のようです。死海の高濃度の塩水は肌にベッタベタな触感があり、浸かったあとは無性にシャワーを浴びたくなりますね。

 

 

 夕刻の生暖かい死海の水面に浮かび、ただボケーっとヨルダン側の黄昏れた岩山を眺めていたら、なんか身体が少しだけ楽になってきました。ヨルダンから始まった洗礼者ヨハネ (John the Baptist) とエリヤ (Elijah)による一連のイニシエーションがこれでひと段落するような予感と感謝の念で心が一杯になりながら、ただプカプカ浮遊していました。身体が沈むことがなく(よって、バタバタ泳ぐ必要もなく)、海とはいっても高濃度の塩水なため生物もいないので、その名の通り死んだように静かな水面は、夕闇の中で波風一つ立たぬ不動で、信じられないほどにどんみりとした静寂さを湛えていました。このままこの暗い水に漂いながら、あっちの岸(彼岸)まで漂っていってしまいそうな、そんな怖いような異世界へのポータル的な魔力がありました。

 

 翌々日には、いよいよエルサレムに向かいます。イェシュア(イエス)と聖母マリアが、また僕に何か大きなイニシエーションを提供してくれるであろうことは、既にわかっていました。身体保つかなあ?