2014年10月中旬。
T病院のセカンドの後、
平日の外泊がグンと増えました。
なにか楽しいことはできないかな?
そう考えた私が思いついたのは、
行き帰りの幼稚園バス停に行く事でした。
一緒にバスには乗れないけど、
通園の雰囲気を少しでも。
バスに乗っている
お友達の顔を見るだけでも。
この時の子供の姿は、痩せ細って
肌の黒さが目立ってましたが、
相変わらず走り回っていて、
著しい体力の低下は感じてませんでした。
右腕の痛みは以前の1/3くらいまで
良くなっていました。
薬の奏功で腫瘍が縮小し、その分
神経への圧迫が解消されたからです。
しかし神経への浸潤は進んでいるのか、
手のひらは固まり始めていて
もはや指先はほとんど動かすことが
出来なくなっていました。
ゆっくりと肘から曲げる事しかできない状態。
手首を曲げる力もほぼ無くなっていて、
たまに動かせると喜んで
私に教えてくれていたのが
印象に残っています。
バス停のお母さん達には
「かくかくしかじか、
今はこんな姿だけど
治療してる時以外は元気だから!
これからちょくちょく
バス停に遊びに行かせてね。
気を遣わせちゃうかもだけど、
ごめんね。」と連絡しました。
一緒に通園していたお友達。
帽子をかぶり、マスクをするうちの子に
一瞬「???」と、なりましたが、
久々の再会の喜びが上回ったのか、
すぐにキャッキャ楽しみ出しました。
園バスが来ると、
既に乗っていたお友達が
何人かうちの子に気づいて喜びました。
幼稚園到着後、
今日はね!○○ちゃんが来たんだよ!と
嬉しそうに自慢してくれたそうです。
転院してから手術までの間は
化学療法も無かったので、
元気に拍車がかかっていました。
でも、感染には気をつけなければ
ならないので、
ご近所の子やバス停の子達が
風邪気味の場合は、
家族だけで遊んでいました。
12月に入ってからは
風邪をひく子もちらほら出始め
バス停にはほとんど顔を出せませんでした。
2014年12月14日、
手術前日は、近所で一番仲良しの
女の子と2人で過ごしました。
お花を摘もうとしたらしいのですが、
冬だから全然無くて、
キレイな石を集めていました。
そして何やら座り込んで
お話ししている2人。
2人とも着込んでいたから、
着膨れた背中はまんまるでした。
可愛い可愛い後ろ姿。
こっそり写真を撮りました、
すると、
「明日ね、○○ちゃん腕無くなっちゃうの。」
「寝てる間に全部終わっちゃうから、
怖くないってママが言ってたんだ。」
自らそう呟く我が子。
そう、手術の告知をしてから子供は、
自分から色々な大人に
「もうすぐこっちの腕、無くなっちゃうの。」と
言うようになりました。
まだ説明してない人にも
どんどんカミングアウトしていくので
私は慌てました。
と言うか、私自身つらくて
ほとんど誰にも話せていなかった。
「そうなるかもしれないんです」と
言っておいた人もいたけど、
何も話せてない人の方が多かった。
皆、子供の前だから
必死に泣くのを我慢してくれました。
『ごめんなさい、言ってなくて。
ごめんなさい、
どうしても言えなかったんです。』
と謝ったら、
「それは言えないよ、つらかったね、
言えなくて当たり前だよ😫」
と私を抱きしめてくれました。
あんなにたくさんのママ達に
温かい心で抱きしめてもらったのは
当然ながら初めて☺️
人の温もりってこんなに
ありがたいものなんだなと感じました。
と同時に、本当に申し訳ない事したなと…。
かと言って、時を遡って当時に戻ったら
私はみんなに話せる?と考えると
やはり同じ事になってしまう気がします。
闘病の日々を振り返る時、
あの時ああしていれば…は
考えないようにしています。
後悔することもたくさんたくさん
あるんだけど、
その時その時のベストを
尽くしていたはずなんだと、
そう思うようにするしかありません。
切断前後のこと。
同じ経験をしなければならなくなった
ご家族のために、いつか詳しく
書きたいなと考えてますが、
なかなか踏ん切りがつきません。
…どうも私はすぐ話が逸れますね💧
告知から4日目、
初めてお友だちにポツリと手術の事を
呟いた子供。
手術前日のそのセリフ、その後ろ姿は
あまりにも悲しく、愛おしくて、
慌てて主人と黒子役を
交代してもらった私は、
遠くに離れて嗚咽しました。
どんな気持ちで、
何を考えてお友達にお話ししたのか。
たくさんの事を乗り越えてきた
今の子供の記憶には残っていないようですが、
私には忘れられない記憶です。