痛み | risatyのきままな一日

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~大好きな事~

八重美が居なくなって12日が過ぎた。

でも、まだ信じられない私が居る。

一人で居ると八重美の事ばかり考えてしまう。


2年半前、八重美が

『お母さんがまだ動けるうちは別々に暮らそうと思って。いずれまた一緒に暮らさないといけないから』

って言っていた時、

『居候(私の家に)してもいい??ちゃんと家賃払うから』

ってよく言ってたんだよね。

冗談で言ってると思ってたんだけど、後々

『あの時は本気で言ってのに~』

って言ってたよね。

こんなことになるなら一緒に暮らせば良かったよ。

八重美とだったらきっと楽しく暮らせたよね。


八重美がお母さんと別々に暮らしだして丁度1年が経ったとき、お母さんが末期の癌だって告知されたよね。

発病の時期が1年くらい前じゃないかってお医者さんに言われて

『別々に暮らさなければよかった』

って言って自分を責めてたよね。

あの時、ありきたりな言葉しか言ってあげられなくてごめんね。

でもね、あの時、八重美の涙を見て何も出来なくても傍に居てあげたいって本当に思ったんだよ。

少しでも力になれたらって。


母一人子一人だった八重美。

全てが八重美の肩にのしかかって本当に苦しんでいた。

『兄妹いていいねぇ~』

ってよく私に言ってたもんね。

確かに兄妹が居れば、一人で決断することもないし、少なくとも痛み分け出来るからね。

一人よりは気持ち的にも楽だよね。

うちのママも一人っ子で祖父母が亡くなった時、凄い苦しんでた。

『自分は何もしてあげられなかった』って。

そんなママの姿を見ていたから、私は少しでも八重美の役にたちたいって思ったんだよ。

役にたててたかなぁ~。


お母さんには告知しないって決めて、極めて明るく振る舞ってた八重美。

結局、お母さんはお医者さんが一度目に宣告した余命を大きく上回り、末期ガンと告知されてから約1年頑張ったよね。

お母さんが亡くなったらリフレッシュしに海外に行きたいってよく言ってたね。

実現させたいって思ったからさっちゃんと色々相談してたんだよ。

さっちゃんが居たから3人でのグアム旅行が実現出来たんだよ。

今となっては実現させられることが出来て良かったよ。

八重美との思い出増えたもんね。