国際結婚日記 -153ページ目

髪、バッサリと!


さあ、前回アメリカの美容院事情について書いておりましたRisacoですが。。。

私って、とっても古風な人間なんですが、
何か人生の中で大きな別れをなかなか消化できそうもない時、髪の毛をバッサリ切りたくなります。

昔、大好きだった彼に振られら時も。。
バッサリ。

ただの気のせいだとは思うんですけどね?
断ち切れない思いをどうにか振り切りたい時、髪を切ると心機一転する感じがして。。。。
マジで気のせいですよね。笑

祖母のこともあってもう、
久々にバッサリ行きたくなりました。

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何年ぶりか。。ショートに。


ショートどころか。。。。

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刈り上げにね。

これはちなみにストレートアイロンしてるバージョンですよ。
実際はくるっくるでもっと意味わかんない髪型です。マイケルジョーダンか?
MCハマーか?って。。。。。

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あまりにも爆発してピンでとめましたとも。。。。。もう。。。。

笑っちゃうほどのクルックル。

どうした?私。。。。。
いや、私の髪。

アメリカ美容院事情


アメリカって日本と少し違う美容院のシステムなんです。
日本だと大きな会社が経営するチェーン展開の美容室に雇われるサラリーマン風美容師さんと、開業をするオーナー的美容師さんの2通りですよね?

アメリカだと、美容師さん個人がみんな自営業者な扱いになるっぽいです。
毎年ライセンス更新しなきゃいけないし、サロンの中のブースを借りてオーナーに場所代など支払いつつやっているらしいです。

だからサロンの中に人がいっぱい働いているんですけど、実は別々で商売してるってことになります。

私はずっと友達である美容師のCちゃんに髪の毛を切ってもらっていました。
彼女日系人ですが、クライアントはほとんど白人なのとか個人的なセンスの問題か、「髪の毛をすいて、軽くして欲しい」とリクエストしても絶対してくれないんです。。。。((((;゚Д゚)))))))
だから毎回ドーラや、ちびまる子ちゃんみたいになっちゃうんですね。
そんでも、友達だし、私は天然パーマだし目立たないからいいや。。。と妥協していたんですけど、そろそろ自分の納得できるヘアスタイルも追及したくなってきて。。

違うサロンへ行ってみることに決めました。ネットで評判などチェックして自分のしたい髪型っぽいのをやってそうなところを探しました。

そんで行ってみると。。。
建物には調べたのとは違う店名。
でも確かにロケーションはあっているので、入ってみる。
すると。。。
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こんな感じになっている。カラオケボックスみたいになってて、一個一個の部屋に店の名前と、番号がふってある。

そう。。今まで行ってたCちゃんのサロンだと、日本でも良くみるような個人経営のサロンの中の椅子を個々に借りている状況だった感じになってたんですけど、
ここは部屋が分かれていて全部違う店として分かれている。

部屋の中は
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こんな感じにブースが二つづつ入っていて、シャンプー台もすぐ横。
変なてるてる坊主みたいな格好で店内を歩き回る必要もない。いえーい。

このサロンに間貸をするSola Salonという会社、賢いね。
いいアイデアだと思います。

肝心の髪型につきましては、
また次回。。。。。

悲しくないのに


先週、母方の祖母が亡くなりました。

もう94歳で本当に、長く生きてくれたことへの感謝のみ。

そして我が家は自然の流れを大切にしたい気持ちが大きく、反対してましたが、
10数年前に祖母が延命治療をするか親戚でもめた結果、「まだ生きられるのにそれをしないなんて残酷だ!!」と責められたあげく、結果延命治療をすることになった祖母は寝たきりのまま10年以上も家で叔父と母とヘルパーさんにお世話になりながら生きてました。全く意識がなさそうな時期もありましたが、私が行くとニコニコしてくれる時期も、おしゃべりしてくれる時期すらありました。
ひ孫であるルンちゃんとポッ君にも会ってもらう事が出来ました。
延命治療をしたおかげでそのおばあちゃんからもらった幸せは私の宝物の思い出になったのは事実ですが、
それは、決しておばあちゃんのためじゃなくて、私や家族がおばあちゃんと一緒にいたいからワガママで生きてもらったような感じがして。。
なんか勝手に自分を責めたりもして。。
おばあちゃん、幸せだったかな?って。

天国で大好きだったオシャレして、私が二歳の時に亡くなった祖父と久々に再会できただろうか?

色々な思い出や、祖母の人生の場面場面での気持ちを考えていたらやけに涙が出てきて。
悲しくないのに。長生きしてくれてありがとう。。。ってただただ笑顔で言いたい感覚なのに、その気持ちとは裏腹に、
涙がドバドバ出てくるので、
なんか不思議でした。どうしてなのかな?って。

おばあちゃんのイビキや、声、料理や、仕草や。。ニベア塗りたくった手や、手編みのベスト、真っ白の髪の毛や、私と同じ曲がった指。。。
そんな沢山の何もかもにもう触れる事も感じることもできないかと思うと泣けてしまうのか?

私は反対だったにしろ延命治療をし、誰かの助けを借りながら恥ずかしそうにする祖母がいたたまれず、すごく辛い気持ちにも
なりながら、どうにもできないもどかしさも感じながら見守っていた。
だから、頭の中では、「みんなのために生きてくれて本当にありがとう。長生きしてくれてありがとう。」って。。おばあちゃんは楽になったはずだって、わかっている。
すごく頑張ったから。。。

なのに「まだいなくなっちゃ嫌だ」というわがままな考えの自分がいるから、
こんなに悲しいんだろう。

人間の本能。
おばあちゃんの気持ちになれば心から旅立ちを笑顔で見守る事が出来るのに、
私はおばあちゃんに居てもらいたかったから、こんな事になる。どうして、おばあちゃんが辛かったと分かっているのにそんな自分勝手な涙がこみ上げるんでしょうね。いやだいやだ。

フラッシュバックのようにおばあちゃんとの思い出が蘇る毎日です。
誰かと共に生きるというのは、
終わりが来てしまう事も含め、とても尊いもので、それはまるのまま自分自身の人生を彩っているカケラなんだ。
どんな人とどんな時間を過ごすかということで、自分の人生が豊かになるんだ。

おばあちゃんは、間違いなく私の人生の大きな一部でありました。


本当に心からありがとう。