高村薫「冷血」読了。 

※以下、ネタバレありです


あと2回ぐらい読み返さないと、おさまりきらないのはいつものこと。
下巻もじっくり面白く読めました。読み応えという点では満点。

2人の犯人のうち戸田はともかく、井上克美についてはやや消化不良かなという
感じがないでもなかったけれど、作中で雄一郎のほうもそう感じながら
投げ出したので(笑)読んでるこちらもそれでヨシ的な。動機なき動機も含めて
そのあたりがカポーティの「冷血」だったかなぁと。
このスッキリしない感、名前をつけられない感情や形容できない心のありかた、
そのあたりをよくぞここまで言葉を尽くして書いてくれましたと感謝。

しかし、インタビューで高村せんせいは
「ああでもない、こうでもないと、合田は言葉でもって二人の周りをぐるぐる
 回っている。昔から、私は人間が言葉ですべて説明できると思いすぎているのが
 気になっていました。ひとりの人間が罪を犯す、それによって人が死ぬ。
 それらを言葉で断定して理解した気になることに、もっと慎重になっていい」
とおっしゃる。言葉を否定しながらも、言葉を尽くす。それこそ慎重に。
その矛盾もと真摯さが好きです。

そしてラストの「ああ、キャベツが食いてぇ---!」で全部吹き飛ばされる(笑)
この台詞と、これによる雄一郎の思い出し笑いでなんとなく爽やかさを感じ、
ラスト一行の現実感と虚無感で、なんともいえない読後感。大好きです。


井上克美そのものは読んでいても魅力的で、雄一郎も「魅入られた口」だという
記述があったけれど「ひんやり」「冷たい石」のような形容と目で
周囲の男どもを魅入りまくっていた雄一郎が「魅入られる側」になったことに
あたしゃ感慨深かったですよ・・・あの狂乱の「照柿」はある意味若気の至り?
井上から見た雄一郎は「年食った学生」(笑)イイネーイイネーそんな40代。
そして井上が魅力的だったことで、相方の戸田も後半からはどんどん
気になる存在になっていくのもよかった。特に、入院してからの凄み。

作中では2年の月日が経っており、上巻でポシャッてしまった加納祐介との
関西旅行は2年越しでようやく慣行された模様。
「湖北に正月の宿を取ったから、間違いなく来いよ」と電話をする祐介、
18年間の片思いを耐え忍んだ意思のお化けも、行動派になった模様。
もう深い森の中には戻りたくないものね。てか、まだ森の中だったらどうしよう・・・


それはそうと、戸田に語りかける雄一郎の長台詞がすごく良くて、沁みた。

「私たち一人一人にとって、世界を埋めるものは多かれ少なかれ異物なのだ」

本を読んでいて、好きなったりハッとする台詞や言葉というのは個人的に
「共感」か「アンサー」の場合が多いけれど、これはわたしにはその両方。
そして自分自身も、誰かにとっては異物なのだと家族のなかでさえ
思っていたことを改めて。

この台詞は、さらに続く。
「私にも、もう四半世紀も付き合っている男友達がいるが、
 考えてみれば、そいつは私にとって誰よりも大きな異物であるのだと思う。
 異物だから、それについてあれこれ考えるのだと思う」

雄一郎らしいっちゃらしいし「だからこそ気になる」とも言ってるものの、
ここまでつきあってもまだ「異物」とか言われちゃう祐介って・・・いや、
つきあってきたからこその「異物」?むしろ昇格?(笑)
深い、深すぎるわ・・・!とあちこちの方向にうーんと考えこむ。

とはいえ、同じ長台詞のなかの
「しかし、バカボンのパパじゃないが、それでいいのだ」に、これまた脱力。
何故そこでいきなりバカボンのパパですか 雄・一・郎・・・!

あと「太陽を曳く馬」で、雄一郎が祐介に「ニューヨークに行ってくれ」と言い
祐介も承諾していたけれど、結局雄一郎も行ったらしい。別々に行ったのかどうかは
ともかく、雄一郎のNY旅行記とか読みたいわぁ。多少なりと貴代子がらみなので
まあ通常運転で気ぶっせいな旅行だろうけど(笑)
そしてもしも、まだ合田の物語が続くのなら「太陽」「冷血」に一度もなかった
加納との会話のシーンが見たい。手紙や電話やメールじゃなく、
判事になった加納祐介を登場させてほしいと切に願います。

そして今回に限った事ではないけれど、高村女王の登場人物のネーミングに
対するなんちゅーか大雑把さは・・・なんとかなりまへんか・・・
ご本人も「登場人物の名前にこだわりはない」とおっしゃっていて、
それはいいとしてもせめて同シリーズ内での使いまわし他人(単なるダブリ)はだけは
どうにかならないものか。いろいろ勘繰っちゃうんですよこっちは!(笑)


「レディ・ジョーカー」での歯科医・秦野は誰もが「秦野組長キター!」と
思ったハズ。も、親戚とかでつながりある?!カッ!ってなったよ・・・
七係シリーズで又三郎の幼馴染だかも秦野だったし、もうやめてぇぇえ(笑)
今回も平瀬がチラリと出てきたけれど、LJの平瀬なのかどうなのか。
戸田もLJの記者さんだったし、克美も字は違うけど高克己、「照柿」で
雄一郎にえげつなくネチネチやられた堀田も確か克己だったねぇ。

そういえば、今回逮捕されてから2人とも「相手に対しての不利な証言はなく、
終始自己保身はなかった稀有なコンビ」とあったのが、よかった。
LJでの「健康に害はない赤いビール」と同じような、高村薫作品のなかに
常にある大切な良心というかストイックさを感じられる。


本や映画を見た時に「よかった」「これ好き」と思えるのは、ストーリーや
登場人物以上に、たった一言の台詞、心に残るワンシーンがあればいい。
それが叶えられて、今回もとても幸せな読書体験だったことです。

ちなみに高村作品では以下の台詞も大好きです。

『世界中の悲しい歌が、みな美しい旋律を持っているのは不思議なことです』
(「神の火」 文庫版 パーヴェル)

『つらいことが、つらくなくなることはない。ただ、自分の腹のなかに
 おさめる場所を見つけるだけだ』
 (「レディ・ジョーカー」ハードカバー版 加納祐介)