癌の宣告を受ける前に私が恐怖を感じていたのは、いつまで札幌で一人暮らしができるだろうか?
いつまで働けるだろうか?ということでした。
派遣社員の給与で大きな貯金はできないけれど、
可能な限り、できるだけ長く働いて札幌で暮らすために老後の資金を貯めなければと、コツコツ貯金していました。
長崎の実家は、弟が相続してしかるべきだし、自分勝手に長崎の家を出て札幌へ移住した私の居場所は長崎にはないと考えていました。
できることなら長崎に帰りたいけど、それはしてはいけないとも思っていました。
札幌で骨を埋めようと思って、当時暮らしていた琴似にあるサービス付き高齢者住宅の入居費用について調べたりしていました。
調べた結果、私の貯金残高で、サービス付き高齢者住宅に入居できる可能性は限りなく低くて、将来、いったいどうなってしまうのだろうと不安を抱いていました。
そう思いながら、長崎に戻るとしたら今しかないのかもと考えたこともありました。
しかし、迷ういとまはなく、癌プラス脳梗塞で倒れて動けなくなり、余命宣告までされて、長崎で手術することになり、急遽長崎に戻ることになってしまいました。
しかし、長崎の実家にはいられないという思いは、今もあって、高齢の両親が亡くなったら、実家を弟に託して、私はどこかに行かなくてはいけないと考えています。
なので、長崎市内のアパートの相場を調べたり、市営住宅や県営住宅などの入居条件を調べたりしています。
障害者になってしまい、今年で還暦になるし、家財道具一式も処分してしまったし、思うように頭も身体も動かないので、札幌で新生活を始めるパワーは、もうありません。おひとり様ですしね。
幸い、長崎で就職することができて、たまたま入っていた掛け捨ての医療保険と郵便局の簡易保険と傷病手当のおかげで治療代を補填できて、札幌時代に貯めたお金は思ったほど減りませんでした。また、今は、障害年金の支給も多少あるので、もし、この後、癌が再発するようなことがあっても、しばらくは大丈夫だろうと思います。
また、これから大きく成功しようとか、仕事で認められたいとか、やりがいを感じたいとか、パートナーが欲しいとか、将来の希望や野望や期待もすっかり失くしてしまっているので未来に対しての不安や恐怖や欲もあまり感じなくなっています。
大好きなバラを育てて、猫に癒されて、美味しいものをときどき食べて、たまに札幌へ旅行へ行って友達に会えればそれでいい。
当たり前の日常を過ごせる幸せがあれば多くは望まない。将来に期待してもそれが叶わないのだったら、余命宣告された時にキッパリ終わっていても良かったんじゃないかとさえ感じています。
そんな本心を札幌の友達や親に言うと怒られますけどね。
札幌でも長崎でも、同世代の友達がキラキラと活躍している姿や出世して生き生きと充実している姿を見聞きしたり、夫婦や娘や息子、孫と仲睦まじく過ごしている姿を知ると、私の人生はもう終わったなと思っちゃうのです。
生きているので、人生終わってはいません。
たまに「あー生きてて良かった」と思う事もあります。
去年の秋、札幌へ行くことができたとき「生きてて良かった」と思いました。
でも、こんな形じゃないんです。
病気前の状態に戻りたいのですが、戻りたくても、もう戻れないんです。
戻らなくても、新たに始めることはできるんです。
そう、戻らなくてもいい。
新しい経験をすればいい。
それを楽しめばいい。
確かに、今、毎日新しい経験を重ねている。
そっちに意識を向けよう。
そっち、そっち!
上書きしよう。
リボーン! Reborn🎶
そうやって自分に言い聞かせています。